Mini
Theater 5-2
〜ミッドナイト・ミニ劇場5-2〜
『Weekend of Soldiers』
週末のバーは込み合っていた。
まばゆいライトが店の中心を明るく照らす一方で、中央から外れた床の隅には濃い影がうずくまる。ざわざわとした陽気な開放感と、澱のように濁った空気とが混ざり合うそこは、いわゆる「境界線」上の空間だ。陽の光の元に暮らす者と、闇の世界に集う者がひとときの邂逅をすることのできる、数少ない場所である。
カウンターの隅に、二人の男が座っていた。周囲の喧騒を避けるように店内に背を向け、黙りこくって並んでいる。
黒いスーツを身にまとった男がぼそりと言った。
「行けよ」
隣に座った男は、端正な顔を上げた。青い瞳で傍らの男を見たが、黒服の男は彼を見なかった。ショットグラスに半分ほど残っていた酒をぐいと呷り、硬いカウンターの上に音をたてて置いた。木製のカウンターがわずかに振動し、隣のグラスに満たされた琥珀色の液体に波紋が広がる。
「地下鉄ならまだ走ってる時間だぜ。そいつを飲んだら行きな」
黒服の男は低く呟いた。暗い店内で、目深にかぶった帽子の庇を上げようともしなかった。
「……すまない」
隣の男がうつむいて言葉を零した。くすんだ金色の髪が、ぼやけた光の中で沈んで見える。黒服の男は、初めて傍らの友人に視線を寄越した。
「謝ることはねぇさ。お前はたまたま彼女を好きになっただけだ」
そうだ、彼は彼女を愛し、共に生きる決心をしたという、それだけのことだ。
馬鹿だなお前は、という言葉は飲み込んだ。惚れた女に請われて、自分のこれまでの人生をすべて投げ捨てて違う生き方を選ぶなど、男には愚行としか思えなかった。冷静で頭がよく、駆け引きでも実戦でも誰にも負けなかった男が、突然普通の生活をしたいと言い出すなど、思ってもみなかった。「生ぬるい堅気の人生なんてまっぴらだ」と言っていたはずの、この戦友が。
男が彼と出会ったのは戦場だった。二人ともまだ若く、歳が近かったせいもあってすぐに意気投合した。彼はダイヤモンドの原石のような男で、限りない可能性を秘めていた――頭がよく、実力も度胸もあり、野心家だった。はるか頂上を見据えて、階段を一気に駆け上がる力強さがあった。
傭兵としては経験不足だったが、互いに競い合うようにして腕を磨いた。老練の兵士たちに混じっていくつもの砲火をくぐり抜け、銃火を交え、肩を並べて作戦を遂行して負け知らずだった。
戦場から戻っても、二人の付き合いは変わらなかった。身についた銃の腕は裏世界ではずいぶん役に立ったし、時には共にやばい仕事をこなしたこともある。彼はいつかマフィアを動かせるほどの男になってやると、常々口にしていた。まったく、彼ほどの腕と度胸があれば、それはただの夢物語では終わらなかっただろうに。
だが、男は女と出会った。
彼女の方から声をかけてきたと言った。珍しくはない。彼も最初は、自分に言い寄ってくる他の女たちに対してと同じように、適当に付き合い始めたのだろう。そして、着飾った他の女たちにはなかった安らぎを、彼女に見出したのだ。
ふるいつきたくなるほどいい女なら、裏世界にはいくらでもいる。自分が今まで見てきた美女に比べれば、凡庸といっていいほどの女だと思った。無垢で優しくて、世間知らずのお嬢さんだと、彼に紹介された時に受けた印象はそんなところだっただろう。
しかし、無力に見えた娘は、誰よりも強い男の心を動かすほどの力を秘めていたのだ。
「愛している」とは言わない方がいい、と彼に忠告してやった。
彼がこれまで遊びで、多くの女たちに囁いた「アイシテル」という言葉を、彼女は本気で受け止めるだろう。そうして傷つくのは彼女だし、おそらく彼自身も――彼女を傷つけたことに傷つくに違いない。
男が直感したとおり、彼と彼女は互いに傷つき、そして彼はやっと気付いたのだろう。彼女を本気で「愛している」のだと。
そんな男と女の愛の成り立ちなど、自分にとっては興味がない。
よくある話だ。堅気の女と出会い、男は裏世界から足を洗う決心をしたという、それだけの話である。三流の恋愛小説にもなりはしない。そのことを友人から打ち明けられて、どこか裏切られた気持ちになるのは自分の感傷に過ぎない、ということもわかっていた。
戦場で、老兵士が口癖のように言っていた。いつまでもこんな暮らしをするな。お前らはまだ若い、こんな稼業からはさっさと足を洗って、まともな人生を歩いた方がいいと。
老いた兵士は戦うことに倦んでいたのだろう。戦うことの空虚さを知りつくし、若者たちにくどくどと説教をしたのかもしれない。だが、当時は自分も彼も、老兵の言葉など風の囁き程度にしか思わなかった。彼が銃を捨てる決心をしたと聞いて、いまさらのようにあの言葉を思い出していた。
彼は今まで生きてきた世界から抜け出すチャンスを掴んだのだ。
それは簡単なことではないだろう。今後、どんな困難が待ち受けているか知れない。それでも、彼女を守り、平凡で幸せな「普通の」人生を送る決意を固めたのだ。きっと、自分は彼を祝福すべきなのだろう。
月に一度か二度の週末、自分たちはこの酒場で会って酒を酌み交わした。ざわめく店内の喧騒に交わるのも、ひっそりと隅で言葉少なに座っているのも居心地がよかった。これからはそんな風に、彼と酒を飲めなくなると思うと、一抹の寂しさが胸をよぎった。
「行きな」ともう一度、言ってやった。「彼女が待っているんだろう」
彼は顔を上げて、自分と目を合わせた。濃い青い瞳がじっと見つめてくる。
ブロンドの髪、青い目と白い肌。東洋人の自分とは外観も、性格も、何もかも異なる相手だった。きっと彼には、闇の世界よりも明るい太陽の光が似合うのだろう――そう思った。
だから、笑ってやった。身についた口端だけの笑みは変えられないから、皮肉っぽく感じられるかもしれない。それでも最後くらい、笑って奴を見送ってやってもいいだろう。
「今日の酒は俺の奢りだ。そいつだけは飲んでいけよ」
金髪の男は自分の前に置かれている、手のつけていないショットグラスを見た。それからもう一度自分を見て笑った。屈託のない、優しすぎる笑み。彼女と付き合うようになってからだろうか、そんな穏やかな笑いを浮かべるようになったのは。
「彼女もお前にまた会いたいと言っている。もうじき子供が生まれるから――そうしたら、会いにきてくれないか? 夕食に招待するよ」
黒服の男は、新たに注いだスコッチのグラスに口をつけながら、言った。
「お断りだね」
「――どうしてだ?」
「もうお前とは会わねぇからさ。本気で足を洗うつもりなら、俺みたいな男と関わるもんじゃねぇよ。――お前とは、これっきりだ」
彼がわずかに傷付いたような顔をしたのは、気がつかなかった振りをした。
平凡な世界に暮らす男と、これまで同様の付き合いをするつもりなどない。好むと好まざると、自分には敵が多いし、どんなきっかけで彼や彼の家族が目をつけられることがあるかもしれない。一般人を巻き込んでしまわぬよう、闇に生きる者たちはひっそりと息を殺して裏世界に潜んでいるのだ。
それは彼や彼の妻や、これから生まれてくる子供のことを考えれば当然の選択だった。
しかし心のどこかで、奇麗ごとを言っているという気もする。男は自分の心の中を分析してみた。光の世界へ踏み出していく友を祝福しながら、自分が血にまみれたこの世界に置き去りにされることに対して、微かな怒りや妬みの感情が潜んではいなかっただろうか。
隣の男に気付かれぬよう、そっとため息をついて軽く首を振った。
エゴイズムでもきれいごとでも、どうでもいいことだ。それは正しい選択だと思えたし、彼の築く平和な家庭に自分が招待されたり、彼らの子供を抱いてやる姿など、想像したくもなかった。そんな平凡で生ぬるい人生など――今の自分には耐えられない。
さっさと行っちまえ。彼女の待つところへ。
そして二度と会わない。それが俺たちの世界のルールだったはずだ。
武器を捨ててこの戦場から離脱するのは自由だ。自分たちはどこの世界でも生きていく権利がある。それが可能なのだと――愛する者のために生き方を変えられるのだと、後に続く者たちに生きた証拠を示してくれればいい。お前ほどの男なら、それができるはずだ。
彼は男をじっと見つめ、それからようやくグラスに手を伸ばした。男ももう一度自分のグラスに酒を満たした。二人はグラスを軽く掲げる。
「お前と彼女の門出に乾杯だ」
「お前のこれからの幸運を祈って」
互いが互いの未来を願って杯を交わした。喉を滑り落ちる酒がいつも以上に熱かったのは、きっと彼の思いが乗り移ったのだと思うことにした。
そうして、友は去っていった。もう一度会えるかと、今度は聞かなかった。そんな問いかけ自体が己の躊躇いや弱気である証なのだと、ようやく気付いたのだろう。
カウンターに一人残った男の隣の椅子は、そのまま空席になっていた。手にする者のいなくなった空のグラスに、カウンター内の虹色の光が映っているのをぼんやりと眺める。男にはそれが中身のない、空虚な幸福の色のように見えた。
雑踏のようなバーの片隅に置き去りにされた、とるに足らないちっぽけな別れのシーン。残った男のため息も、この週末の酒場の隅に捨て去られていくのだろう。
迷っている暇も、悔やんでいる余裕もない。自分の信じた道を、ただひたすらに疾走するだけだ。
――いつかこの命が尽きる時、自らの選択した生き方を誇って逝けるように。
She waits for you 地下鉄ならまだ走ってるはずさ
She waits for you グラス空にしたらもう行きな
声をかけたのは彼女の方だぜ お前をベッドに誘ったのも
愛してるとだけは決して言うんじゃないと
俺からのアドバイス 耳も貸さずに
She waits for you さよならMy friend 寂しくなるぜFriday night
She waits for you バカだぜOld friend 恋するなんて
十字砲火の中くぐり抜けて 俺たちここまで生き残った
女もビジネスも蹴散らしいくつもの 敵陣を突破して戦ってきた
She waits for you 情けないぜ 武器を捨て降伏かい
She waits for you 最前線に戦友を残し
She waits for you 彼女はLady 確かにいい女さ
She waits for you タフなお前 ものにするなんて
She waits for you お断りさ 夕食への招待も
She waits for you お前たちの子供抱くのも
She waits for you 地下鉄ならまだ走ってるはずさ
She waits for you グラス空にしたらもう行きな
* I DON'T LIKE “FRIDAY”*
original words written by Shogo Hamada
懲りずに浜省ワールド第二弾。
「I DON'T LIKE "FRIDAY"」のルパンワールドバージョンです♪
とある黒服男の、ちょっとした過去因縁話ですかね?(笑)
次元の過去とか、自分で作るのはけっこう苦手なのですが
仮想空間なので、とてもありがちな話をひとつ…
なんかね、ビジネスという「戦場」で共に戦ってきた戦友に
恋人ができて、ちょっと嫉妬して突っ張ってるカンジが、
男の無邪気さとか、単純さとか感じちゃうんだけど、
同時に色気みたいな翳りもちゃんと漂っているから、
浜省ってイイなぁ…なんて思うわけですよ…v
06/10/16 K七雲