Mini Theater 4’
〜ミッドナイト・ミニ劇場4’(ダッシュ)〜
『Ke』
Part-2
五右衛門は俗世間から己を切り離し、一切の煩悩を遠ざけようと決意していた。
そのため、一人旅に出て、人が足を踏み入れないような山奥にこもることにした。
大きな滝の近くに仮の居を定め、日夜修行に明け暮れていると、暇を持て余したルパンと次元もやってきて、賑やかにキャンプ生活を始めた。いつものことなので、それくらいのことで五右衛門の平常心は乱されない。
その日も、高さ三十メートルはあろうかという滝の下に入り、しばらく滝に打たれて無心になっていた。
心を静めて己の心を見つめなおした後、滝から上がろうとすると、滝壷の周辺ではルパンと次元が遊んでいるようだった。広くなった川幅の浅瀬で、岩をひっくり返して小魚や川蟹を追い出しては捕まえようとしている。
「おい次元、そっちだ!」
「まかせとけ!」
上着を脱いでワイシャツ姿の彼らは、ズボンの裾をまくって膝下まで水に浸かってバシャバシャと川の中を走り回っている。
――まるで犬だな。
そう思いつつ、五右衛門は濡れた身体のまま、修行用の麻の衣に袖を通した。
日はそろそろ傾きかけている。五右衛門が夕餉の支度を始めると、ルパンたちも川から上がってきて火を起こし始めた。サバイバル生活にも慣れているので、こういうところは手際がよい。
そうして夕食も食べ終えた頃のことだ。人気のない山奥のこと、日が落ちて夜になると大量の薮蚊が発生した。
「あ、またこっちにも来てやがる!」
ルパンが唸ってぱちんと自分の左手の甲を叩いた。
「なぁんか、さっきから俺ばっか狙われてねぇ?」
「蚊も人を見るのさ。血の気が多くて美味そうな奴にたかってるんだよ」
次元が笑うと、ルパンがおどけたように肩をすくめた。
「蚊にも見る目があるってか? 俺様、蚊にも美女にもモテモテで、イヤモウ困っちまうなぁ」
けっ、と横を向いた次元は、思い直したようにルパンの方へ顔を戻した。
「……ん? おいルパン、ちょっと、じっとしてろよ」
そう言って、そろりとルパンの顔の横に近付くと、分厚い手でその顎の辺りに張り手を食らわした。ルパンがひっくり返りそうになる。
「イッテェ…… なーにすんだ、次元〜っ!」
「おっ、見てみろ! でっかい蚊が獲れたぜ!」
頬の下を押さえて抗議するルパンに、次元が嬉々として掌を見せた。そこには潰れた蚊と、蚊の体内から出た血がくっついている。たらふく血を吸った後だったらしい。
「あ〜あ、俺様の大事な血をこんなに吸いやがってェ」
まるで次元の仕業であるかのように、ルパンは相棒を睨みつけた。
それから、目を輝かせて身を乗り出す。
「お、次元、俺も獲ってやるぜ!」
「必要ねぇヨ!」
次元は自分にまとわりつく蚊を手で払いながら、ルパンが企んでいる張り手も払いのけようと、両手を大げさに振り回して逃げようとした。
そんな二人の様子を、五右衛門は淡々と眺めていた。まるで子犬がじゃれ合っているようだな、と思ったが、この子犬たちは自分たちのみならず、五右衛門がいれば一緒に巻き込んでじゃれ合おうという悪い癖を持っている。他人事を決め込んでいる五右衛門に気付いて、ルパンがくるりと向き直った。
「五右衛門、涼しい顔してっけど、お前は蚊にたかられねぇの?」
「少々の血くらい蚊にくれてやればよかろう。蚊とて、繁殖に必要だから血を吸っているのだ」
耳元で蚊の羽音を聞きながら、五右衛門は静かに答えた。蚊が生き物の血を吸うのは自然の理(ことわり)である。それを払うのも吸われる側の生物の理だが、血を奪われるのも修行の一環である、と心に命じている五右衛門は、あえて抵抗することをしなかった。
神経を逆撫でするような不快な蚊の飛ぶ音も、心を乱されないための訓練であると思えば、大して気にはならない。自然のあるがままに、である。
ルパンと次元は顔を見合わせた。五右衛門の言葉に感じ入ったのかどうか(そんな心根を持ち合わせているとは五右衛門には考えられないのだが)、蚊を払うのを止め、試しに蚊が立てる高周波に耳を傾けてみているようだった。
ようやく訪れた静寂に気をよくして、五右衛門は目を閉じた。
焚き火の爆ぜる音、小枝が触れ合う葉擦れの音、草むらでうごめく虫たちの鳴き声。森の中で息を潜めていると、ひそやかに訪れる生命の囁きに、耳元で騒ぐ蚊の演舞も気にならなくなってくる。
どれくらいそうしていたのか。
ふと五右衛門が我に返ると、焚き火を挟んでルパンと次元がひそひそと耳打ちをしていた。何が可笑しいのか、頭を突き合わせて、声を殺して笑っている。
(……あーあ。次元、非道いヤツだなぁ)
(おめぇがヨ、言うなって)
ルパンが次元の足元を指差して、「三匹目だぜ」と笑った。次元もすかさず言う。
「お前も二匹絡まってんじゃねぇか」
何のことかと思い、彼らの足元に目をやった五右衛門は思わず唸った。
「う゛っ……!」
ズボンの裾を捲り、剥き出しになった彼らの脛には濃い脛毛が密集している。そこに潜り込んだ蚊が、毛に絡まって身動きができなくなっているのだった。
縮れた毛は複雑に絡み合い、蜘蛛の巣のように頑丈だ。地肌を目指しての進入は容易だが、たらふく血を飲んで膨らんだ腹と、鈍くなった動きでは、脛毛からの脱出は蚊にとって大きな難関となるらしい。
脛毛に絡まった挙句、哀れな生贄のように息絶えた蚊が、ルパンと次元の足には点々とついていた。五右衛門は衝撃を受けて硬直する。
毛深いとは、こういう時に役立つのだろうか。
もじゃもじゃと生えた濃い脛毛は、見事な『蚊取りホイホイ』として、ルパンたちの肌を蚊からシャットダウンしているのだ。白いつるりとした肌の五右衛門には考えられないことである。
そんな五右衛門の様子に気付かず、ルパンと次元はまだ喋っている。
「よーっし、次元にゃ負けてらんねぇぜ。何匹獲れるか競争しようじゃねぇか」
「望むところだ。負けた方は明日の朝メシを作るってのでどうだ」
腕まくりをして、二人で毛深い腕を比べっこしながら蚊をおびき寄せようとしているようだった。五右衛門の中で、何かがぷつりと音を立てて切れた。
傍らに置いてあった剣を手にするなり、ルパンたちに向かって鋭く一振りした。驚いた二人は仲良く一緒にひっくり返る。
「ななな、どーしたのよ五右衛門!?」
「うぬら、拙者を愚弄しておるのかッ!?」
五右衛門の剣幕に、二人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔でたじたじとなった。
「おい、落ち着けよ」
そろりと次元が声をかけたが、五右衛門には届かない。
「拙者の煩悩ばかり刺激しおって、悪意があるとしか思えぬぞッ!」
もう一度、斬鉄剣を振り回すと、ルパンと次元は慌てふためいてその場から転がるようにして逃げ出した。林の中まで飛び込んで、ようやく五右衛門のコンプレックスに触って大いに傷つけたことに思い至ったようだ。
「おおい、やめろって五右衛門! 俺たちが悪かったってばヨォ!」
「悪意なんてなかったんだぜー!」
林の中からルパンと次元の情けない声が聞こえてきた。五右衛門は肩で息をして、それからようやく多少の落ち着きを取り戻した。
「……くっ。このようなことで我を忘れてしまうとは、不覚っ」
呟いて肩を落とす。脛毛が薄いくらいで平常心を失い、ルパンたちを追い払ってしまう自分が情けなかった。まだまだ修行が足りない。
「……ご、五右衛門?」
くるりと背を向けた五右衛門に、ルパンたちの声がかかった。
「ついて来るでない。拙者、もっと厳しい環境に身を置かねば、心身を律することすらできぬ未熟者ゆえ」
振り返りもせぬままそう言い捨てて、五右衛門はさらに山奥を目指して歩き出した。ルパンたちのような騒々しい連中がいても平静さを保てるようになるまで、この男たちとは距離をおきたいと思う。
「……おぉーい。五右衛門ー。悪かったよ、次元の脛毛はこの焚火であぶってやっから、帰ってきてくれよー」
「おいルパン! 何で俺ばっかりそんなことしなきゃならねぇんだ!」
「だーってそうでも言わなきゃ五右衛門が行っちまうだろー? …」
背中から二人の声と、赤々と燃える炎の光と熱が追ってきていたが、五右衛門は無視して進んだ。やがて周囲には闇と、五右衛門を慕ってついてきた蚊たちの羽音のみが残るだろう。
ひたすらに修行の垢にまみれ、髪の毛の手入れもできない状態になれば、あるいは髭や体毛も濃くなるのかもしれない。
……いや、そのようなことを期待すること自体が、やはり煩悩なのだと五右衛門は思い直す。毛深い男たちを羨むようなみっともない感情を捨ててしまうまで、もっと修行を続けなければ。
そうして、五右衛門の苦悩は続くのだった。
<終>
調子に乗って毛ネタ・第二弾!
このネタも実話ですねぇ。毛深い連中と夏の砂浜でキャンプをしていて、
野郎どものスネ毛に蚊が絡まっているのを見て爆笑でしたよ。
いまさらこんなところで使うことになるとは思わなかった…(笑)
ビバ、素晴らしいぞスネ毛!
生々しすぎるのもどんなもんだろうとか思い、
ルパンと次元の精神年齢を中坊くらいに引き下げてみたら、
五右衛門も一緒にガキっぽくなったようです。
なんか妙に楽しくて、ノリノリで書き上がってしまったではないかー。
そうだった、ホントは『少年』を書く方が慣れてるんだオイラ。
…そして、五右衛門のスネ毛願望は深まるばかりでござる(爆)
06/04/20 K七雲