■怒涛の「NIGHT HEAD」考察 その2
今度は霧原直人の持つ念動力、サイコキネシスのお話だ。
これは手を触れずに物を動かしたり壊したりする、超能力の中ではわりとポピュラーな能力(笑)だろう。
一般に「超能力」というのは読心・透視・未来予知などの「超知覚的な能力」と、念動力・瞬間移動・発火能力などの「物理的な能力」との二つに分類することができる。直也の場合は先に挙げた知覚に関しての能力になるし、直人はモノに直接働きかけて変化を与えるタイプの力と言えるだろう。
別にこれらの能力は一人の人間がどちらかしか持てないというものではない。直人も微力ながらテレパシー能力を持っているし。ただ、二人の場合は両極端に偏りすぎて、うまく生きていけないので、互いの欠けている部分を補い合うようにしているのである。
「NIGHT HEAD」によると、念動力はその人の持つイメージ力と密接な関係があるんだそうだ。
例えばテーブルの上にあるグラスを「動かそう」と思うと、我々は手で持ち上げる。「持ち上げよう」という意思が働いた瞬間、まずコップが動いた結果をイメージし、自分の手がそれを実行に移した、というふうにも考えられるだろう。サイコキネシスの場合、自分の手ではなく、「見えない手」がグラスを動かすことになる。直人は目に見える、そこに「在る」物や人に対して働きかける手段を、普通の人より多く持っているのだ。つまり、手で動かす以外に、精神の力で、ソレの形や場所を変えてしまうことができる。
精神が物を動かすというと非常にナンセンスにも聞こえるが、実は現実なんてそんなに確固たる絶対のものじゃない。自分が眠ってしまえば、自分にとって現実なんてないも同然だろう? 要するに、人間は精神によって現実を認識しているに過ぎないのだ。
だったら、イメージしたことが現実になることだってありえない話じゃない。
綺麗になりたいと努力すれば、時間はかかっても綺麗になれる人は多いだろうし、何か夢を持って頑張れば、それが叶うことだってある。自分はこうしたいんだと口に出して主張すれば、不思議に実現することはあるはずだ。それは必ずではないし、時間もかかるけど、人間は「願い」を現実にする力を持っていると知っている人は多い。それは運がいいとか、思いが強いからだとか、結局実力があるからとか、いろいろ理由はあるだろうけど。
「力」があればイメージしたことが現実になるという点では同じだ。イメージ力が強くて、ちゃんと現実の人生に沿う形で現実を変えてきた人間ほど、人生に成功しているのはまぎれもない事実だと思うのである。
その「力」が即効的で特殊に飛び抜けてしまったものが超能力だとするなら、それは異端だけど、ありえない話じゃないよなぁ、と。私なんかはごく自然に納得してしまったりもする。
本来、念動力というのはそういうもののはずなのだ。
人間は無意識にテーブルの上のグラスを手で持ち上げたり、割ったりしない。喧嘩をして思わず相手を殴ってしまった、ということはあっても、無意識に傍らの電柱をへし折ったりはしないだろう(苦笑)。
イメージすれば実現する力とはいえ、直人の場合、何かを意識して物を壊しているわけではない。感情がたかぶり、軽く声を荒げただけで物を壊したり相手を傷つけたりする。制御がきかない破壊の力だけに始末におえないんだな。
直人自身は一生懸命感情を抑えるよう努力しているんだけど、本来、感情の起伏が激しいのは気質であって、直るとか直らないと言うものでもない。いわゆる「キレる」という類の危険なものではなく、ただ感情がたかぶると勝手に周囲のものが壊れてしまうのだ。
壊れることをイメージする前に、精神の力が勝手に暴走してしまう。人間の肉体に規格の間違ったエンジンが取り付けられているんじゃないかと直人は悩む。それがイメージの力なら、「壊さない」イメージ力を直人が身につけられれば、力は制御できるんじゃないかと思ったりするのだが…
…怒りを制御するのと、イメージ力をアップするのでは、どちらが最短で有効的な手段だろうか…(悩)