香港国際警察編 その2 ![]()
ファイナル・プロジェクト 香港国際警察
NEW POLICE STORY-
『ファイナル・プロジェクト』 (1996)
【あらすじ】 香港警察のジャッキー(ジャッキー、役名同じ)はCIAの協力要請を受け、香港からウクライナへ飛ぶ容疑者を監視する仕事を与えられる。簡単な任務を滞りなく終わらせ、ウクライナ観光を楽しむつもりが、核爆弾の密売事件に巻き込まれてロシア情報局FSB(KGB)の捜査にも協力することになってしまった。売人を追ってオーストラリアに入国したジャッキーの前に、巨大な陰謀が立ち塞がる…
ポリス・ストーリー4、簡単任務。1997年の香港返還直前に製作された、ジャッキー渾身の大作というか、史上最大の冒険活劇というか。香港最後ということで、日本配給会社としてはぜひ「ファイナル」とつけたかったようだ。英題は 『ファースト・ストライク』 で真逆なんだけどね(笑)。
『ポリスト2』 のレビューで呟いたように、このシリーズはどんどんスケールが大きくなって、ついに核兵器から地球平和を守るところまで来ちゃいましたよ(笑)。前作を凌ぐために事件の規模が拡大していくのは続編映画にありがちなところで、ついでに主人公がどんどんスーパーマンになっていったり、話を拡げすぎて収拾がつかなくなる、なんて事態になることも少なくない。本作は一見スケールが大きそうでありながら、意外とこじんまりした展開に落ち着いていたり、ジャッキーがあくまで巻き込まれ型の一警察官に徹しているなど、よくある落とし穴にハマることなくうまく纏め上げたという点で、まずまず成功していると言えるだろう。
とにかくスタンリー・トン監督のスピード感溢れる映像技術は素晴らしい。こういうスケールの大きな映像を撮らせたら、そのセンスは香港映画界でも群を抜いてるんじゃないかと思う。特に前半、白銀の雪山での追跡劇など、迫力あるスピーディなカメラワークとダイナミックな映像の組み合わせは、アメリカ映画に勝る完成度の高さだろう。カメラマンの(スキーの)テクニックも、ヘリコプタからスキーで飛び降りてくる追跡者(プロスキーヤーだそうだ)たちもすげぇ!(驚嘆)
もちろん、ジャッキーも相変わらず自己流スタイルなスノーボーダーっぶりで、こんな猛スピードで滑り降りるのはかなり練習を積んだだろうし、ノーブレーキでバランスをとり続けるのって相当な勇気がいるものだ。全く、カンフーにしても何をしても、基本型が崩れまくって危なっかしく見えるのに、何故かうまくこなしてしまうんだよなぁ(笑)。
スノーモービルにドツかれ、防寒着なしで雪原を疾走し、岩からジャンプする度にすっ転んでは起き上がる。転んだ拍子に手にしていたケースを手放してしまったのに、滑り落ちてくるそれを追い越してまたキャッチ、なんて面白ワザを遠景の豆粒みたいな画でさりげなくやっているのなんて、もったいない、ちゃんと見せてよ〜;なんて思ってしまう。
そんでもって、崖からヘリコプタにジャンプ! 頭に乗せた愛くるしいアザラシ帽子が吹っ飛ぶシーンは何度見てもドキドキものだ。数センチずれたら頭に当たるよ! さらにさらに、直後には氷の中へ落下していくんだから、どれだけ心臓が丈夫なんだか。見てる方が寒くて心臓が止まりそうになるよ(爆)。これでまだ映画開始から30分ほどしかたってないんだよな…
スタンリー・トン監督はきっと、007などのスパイアクション映画がすごく好きなんだろう。映像センスが特化していると思うし、一方で物語には「言わずもがな」というような説明不足が多く見られる。「よくある展開」なので多分こういう事情なんだろう、と観客側が自分の知識から補完しないと、話の筋を完全に把握できないんだね。例えば、密売人であるツイ(ジャクソン・ルー)はウクライナの軍人から預かった核弾頭と誘導装置を手提げケースの中に入れ、雪山の山荘で待つ謎の組織に売り渡しにいく。彼が逃走中、このケースを落としてしまい、ジャッキーが拾って逃げ回った挙句、結局追っ手(本来は核弾頭の買い手)に奪われてしまうのがここまでの展開だ。
しかしその後、FSBはなぜか核弾頭を持ち去ったヘリコプタの追っ手は完全に無視して、手ぶらで逃げたツイの行方を追ってオーストラリアへ向かう。これについて説明がないが、ツイが買い手に会いに行く前、魔法瓶のようなものを雪の中に埋めるわずかなシーンがあるため、本物は隠してケースの中身は贋物だったんだろうな、という推測を観客側でする必要がある。そして、核弾頭がまだツイの手元にあるということをなぜFSBが知っていたのかというと、FSBのイゴーロフ大佐が密売組織の買い手側のボスだったから、と後に判明した事実で遡って納得することになるのだが、逆にジャッキーが「核弾頭は奪われたのに、何故自分は売人の妹に接触するのかな?」と不思議に思わなかったんだろうかという謎も残る。
ちなみにオーストラリアへ密入国した時、漁船の船長に化けたイゴーロフが核兵器密売の電話をしているシーンがある。これで彼が黒幕だとわかるのだが、この時、船内の花瓶や操舵の部品などをあちこち取り外し、何かを組み立てている。これが何を意味しているのか、何度見返してもわからなかった。多分、核弾頭に関係する「何か」なんだけど、ただの核弾頭の入れ物のように見えるがなぁ…
もしかすると、これは雪山でジャッキーから奪ったものという意味で入れたシーンなのかもしれないが、とても意味ありげにアップになっている(わりに書かれた文字などに字幕がない)。何が言いたいのか…スパイ映画を見慣れている人なら理解できるのだろうか…。
映画全体は非常にテンポがよく、個々のシーンは面白いので、意識的に物語を追わなければ気にならないかもしれない。しかし様々な組織や国の利害が緻密に絡んでいく大掛かりな映画であるだけに、人間関係や敵対関係の説明を中途半端に放り出されると、ちょっと戸惑いながら全編を見る形になる人もいるのではないだろうか。もう少しプロットを煮詰めることと、映画内で台詞やシーンの挿入による説明が欲しいところだなぁ。
だから、ウクライナでの活劇は巨大な敵を相手にしている印象なのだけど、オーストラリアへ渡ってからは急に話が小さくなっている。ロシア情報局が部外者のジャッキーに捜査を任せきりにして盗聴だけしていたり、イゴーロフがロシアンマフィアのボスにしては小悪党っぽい。普通、後半へ行くほど話が大きくなり、ラストアクションが一番スゴイものなのだが、前半が大きすぎて後半が縮小しちゃった感じだね。バランスとしては 『ポリスト3』 の方がいい出来だと思う。
まぁそんな物語面でのアレコレはともかく、ジャッキーの役柄やキャラクター面の演出については、ほとんど不満もなく大満足。アザラシのゴマちゃん帽子を被っていたり、コアラの下着を着ていたりとか(笑)。トボけたコミカルさとシリアスな部分のバランスもちょうどいい。ツイの用意したペンギンの着ぐるみ(どっから持ってきたんだ^ ^;)姿で、ツイとイゴーロフの電話での遣り取りを黙って聞いている時の真剣な表情なんて、面白いのに渋くてカッコイイなぁ( ^ ^ )。なんかそーいう三枚目なギャップって好きなんだよ。
着ぐるみやコアラはもちろん、ロシア警察の毛皮の帽子とコートとか、葬式行列の一本足の高下駄を履いた衣装とか、若干コスプレ祭りみたいな一面もあり、個人的には遊び心があって好き。また、ツイの父親のお通夜?に誤解をとこうと乗り込んでいく場面などで着ていた、黄色と黒のツートンカラーの衣装なんかも目立っていてカッコイイと思う。この時の、獅子舞の頭とか脚立を使ったアクションもジャッキーらしい小物アクションで、今回はいささか使用する梯子が大物で使いにくそうにも見えたが…(笑)。でもやっぱり、脚立をこれだけ振り回して攻撃と防御に使えるのもジャッキーならではのアイディアだと思うなv
このお通夜の場面や、その後のパレードのような葬式など、舞台はオーストラリアでも中国的な伝統行事が多く登場する。が、中国系の人たちとの会話はほとんど北京語で、ジャッキーが広東語で話すのはトン署長との会話のみ。 『ナイスガイ』 も舞台がオーストラリアで、ジャッキーは恋人と北京語会話をしていたが、オーストラリアのチャイナタウンは北京語が主流なのかなぁ。ジャッキーのご両親も住んでいたし、なんとなく広東語圏のような印象があったのだけど。
ちなみに今回のヒロイン・アニー、演技力は今ひとつだが、昔のマギー・チャンのようにアクションを頑張っている。そしてアニーの兄、重要人物のツイを演じるジャクソン・ルー。大振りな顔の造詣とか名前からして、黒人の血が少し混じっているのかな? 恋人ナターシャを助けるためにCIAを裏切ったわりには、ナターシャはウクライナ公安警察に逮捕されてそれっきりなんだが……ちょっとは気にしてやれよ…(苦笑)
ま、雪山ではジャッキーに偽のケースを持たせて囮にして、自分はちゃっかりスノーモービルで逃げていくような奴だからな。密売に加担することにも正当性を主張するなど、身勝手な言動には少々ムカつきを感じる男だ。
そんなこんなで、最後は鮫がウヨウヨしている水族館でのラストバトル。
これは…アイディアの面白さを優先したものだと思うんだけど、ツボにハマった人とハマらない人がいたようだ。まぁ、スピーディなジャッキーアクションを見慣れているから、水中の闘いって今ひとつ、モタモタして見えるのは仕方ないだろう。K個人は結構楽しめた。穴の中から鮫が出現するシーンなどで、ジャッキーが両手で口を押さえながら、向かってくる敵に「ダメダメ」と合図しているところなんてアニメみたいだ(笑)。様々な小ネタが随所に散りばめられて、わりと長いシーンなんだけど結構楽しめる。難をいうと、BGMが単調なところか。
この 『ファイナルプロジェクト』 、エンディングに往年の 『ポリスストーリー』 が使用されているのも唐突というか、劇中にも一切使われていなかったのになんで? と思ってしまった。前作 『ポリスト3』 でもこのテーマソングはなかったのに…新しいジャッキーのエンディング歌は作る時間がなかったのかな?(いろんな意味で集大成としてこの曲を使いたかったという捉え方もできるのだが…)
で、ジャッキーの格闘シーン「ホテルで巨人みたいな二人組に追いかけられる場面」「葬式前の脚立をつかったアクション」「水中での闘い」など、カンフーアクションには基本的に同じBGMが挿入されている。これ自体は壮大なオーケストラっぽくて悪くないのだけど、水中でのアクションを同じ音楽の流れでまとめてしまったのはどうかなという気がする。この場面、鮫の迫ってくる緊迫感とそれによって動作停止するジャッキーたち、また息継ぎができないドタバタのやりとりなど、次々に異なる事件が起こっている。あくまで個人的な感覚で言うと、これだけ長い時間、ゆっくりしたアクションになってしまうのだから、ひとくくりのBGMでまとめるよりも他の効果音や音楽も入れて、場面場面の緩急をつけた方が面白かったんではないかなぁ。
同じように捻ったアイディアでカンフーアクションがスローテンポになった 『プロジェクト・イーグル』 を見返すと、大型送風機の前の闘いでは、それぞれの場面に合わせてコミカルな効果音や勇ましい音楽を挿入していて、いろんな変化を持たせているのがわかる。それを考えると、この水中アクションはあらゆるアイディアが詰め込まれていてとても面白いのだけど、思い返すと全体がのっぺりした印象だったというか、すこーし単調だったかな、という気もする。(監督の判断でそうしたのだろうし、好みによるものもあるだろうけど。)
そんなわけでイギリス領・香港としては最後ともいえる 『ファイナル・プロジェクト』 、ホントの意味でジャッキーが世界を駆け回った大作で、ロシアもオーストラリアも撮影協力、まさに映画に国境なしってところが素晴らしい。次回があったら、今度はICPOの出向メンバーとして中東諸国に潜入して…なんて話になりそうな予感(笑)。ま、実際には原点回帰で「香港国際警察」に戻ったところがジャッキーらしくていいのだけど。
こういうスケールの大きな話は好みもあるから、アメリカ映画的な拡大傾向がこの後の 『フーアムアイ』 あたりで止まったのは、個人的にはよかったんだと思う。
核爆弾の撤収とか、東西冷戦がどうとかはアメリカ映画に任せておけばいいよ。ジャッキーにはジャッキーにしかできないことが他にいっぱいあるから、香港で闘うジャッキーでいて欲しい。
あ、でもスタンリー・トン監督はアメリカ資本の映画の方が向いていそうだけど…その後も香港での活動の方が多いようだ。ジャッキー同様、ハリウッド的な分業体制の映画製作は合わないのだろうか。…彼の場合、撮影や監督業に専念して、脚本とかは専門エージェントに任せた方がいいような気もするんだけどなぁ…;
『香港国際警察/NEW POLICE STORY』 (2004)
【あらすじ】 香港警察のチャン警部(ジャッキー)は銀行強盗の一味を捕らえるべく、部下を率いて犯人のアジトを襲撃する。しかしコンピュータを駆使した罠にかかり、部下をすべて殺されてしまった。チャンは自責の念に苛まれ、酒に溺れる日々を過ごすようになる。
一年後、チャンの前に現れた新米刑事・シウホン(ニコラス・ツェー)。酒びたりのチャンにつきまとい、犯人を捕まえようと強く説得するが…。
「俺たちのジャッキーが帰ってきた!」 と、多くのジャッキーファンが感動の叫びを上げたジャッキー入魂の一作。単にハリウッドから戻って、久々の香港映画を作ったというだけではなく、往年のファンにはいろんな意味で「帰ってきた」と感じられたんだろう。ちなみにKのジャッキー再ブームはこの二年後なので、リアルタイムで上映していた頃はほとんど知らない。当時は映画全体から遠ざかっていたからなぁ…。
ただ、ジャッキーが帰ってきたといっても、昔の 『ポリス・ストーリー』 のような人間離れしたアクションを見せたということではない。Kは一見して「進化した!」と感じた。「ジャッキー、それだよそれ!」と手を打って立ち上がりたくなったというか、自分がジャッキー映画にちょっと足りないと感じていたものが、パズルのピースのようにカチッとハマった気分とでも言うのか。つまり、バランスがよくなったんです!(感動)
全盛期のジャッキー映画をKはワンマン映画とよく言いますが、悪い意味で言っているのではないのです。あの頃のジャッキーには間違いなく、一人で映画のすべてを表現できるほどの輝きとパワーがあった。ジャッキーオンリーで作らなければもったいなかったと思うし、他とのバランスなんて考えていたら、あれだけの魅力は引き出せなかっただろう。それくらい「ジャッキーチェン」という個人の魅力は抜きん出ていたのだ。だから、その時代に作った作品は当時の正解だったんだと信じている。
そして、人も時代も変化する。時が過ぎれば誰もが次の段階に進むように、我々も変わったし、ジャッキーも変わった。様々な監督と組んだ映画制作をしたり、本格的なアメリカ進出に乗り出したことなども、新しい流れの中で行われた試みだ。ただ、そうした変化の中で、ジャッキーには自分の固定されたイメージをなかなか破れないという葛藤があったと思う。
正義のために戦うヒーロー。清廉潔白、公明正大な人格者。例えて言えばそんな主人公がかつてのジャッキーが目指したもので、世界中の子供たちが憧れた偶像だった。それは見事に成功したが、できあがった英雄像にファンも、ジャッキー自身も縛られて、役者としての幅が狭められてしまったのも確かだろう。もちろん、固定した役柄を自分の分身として、生涯極めるのもひとつの道であるが、ジャッキーはそうしたくなかったみたいだ。役者として別の可能性を試したいと、ずっと模索していたように感じられる。
日本の芸能界を見たって、銀幕俳優が固定されたイメージの殻を破るのはかなり難しい。(勝新だって、死ぬまで「俳優・勝新太郎」を演じ続けた人物だ) 世界的なスターで、ジャッキーほど強烈なイメージを抱かれている俳優ならなおさらだろう。ジャッキーもこの段階に来るまでかなり遠回りしていた気がするし、正直にいえばもう数年、早く来て欲しかったとも思う。
しかし、新しい自分を模索しながらハリウッド映画に出演していた数年のうちに、 『シャンハイ・ナイト』 で自分流アクションの演出、 『80デイズ』 では製作にも関わるなど、ジャッキーは着々と自分の足場を築いていった。世界を相手にしてすら、ジャッキー流を通用させていく手腕は本当に凄いが、それがジャッキーの今後の方向性なのかな、と日本(アジア)のファンは、ちょっと寂しく見守っていたのだろう。
ところが、この映画だ。これ別に香港が舞台だからとか、香港スタッフで製作されたからとか、そーいうことがスゴイんじゃなくて、映画作りのスタンスが完全に香港時代のままなのがスゴイ。あんだけアメリカ市場を体感して、全然学習してないのかジャッキー(笑)。西洋圏の市場をまったく度外視したかのような、見事なまでのアジア向け「香港映画」だ。ジャッキーはホームグラウンドを忘れたわけではなく、「変わっちゃいけない」ところは頑なに変わってないんだな、と、なんか…感動したなぁ。
んで、ハリウッドで学んだ大切なことはちゃんと生かしている。つまり、映画のバランス。主人公だけじゃなくて、他のキャラクターもしっかり活躍させて魅力を引き出している。ニコラス・ツェーは美味しすぎる役だった(笑)。ジャッキーは1990年代終盤から精力的に香港映画の製作を行っていて、ベニー・チャン監督や、ニコラスやダニエル・ウー、スティーブン・フォンなどの若手俳優を続々と育てている。自分的には 『ジェネックス・コップ』 あたりから始まる新世代香港アクション映画はスタイリッシュすぎてどうも見づらいんだけど、香港映画が活気づいているのは喜ばしいことだ。ジャッキーはそうやって得た新しい映画作りのノウハウを活かし、自分で育てた信用のおける新人や監督と組んで、ひとつの集大成としてこの 『新・香港国際警察』 (原題)を作ったようだ。
前置きが長くなったが、本題。
本作は「ポリス・ストーリー」シリーズではあるが、ジャッキー扮する主人公はこれまでと同じ人物ではない。ポリスト1〜3まではチェン・カクー(陳家鴨/正しい発音はチャン・カークイ)だったが、今回は陳國榮(チャン・クォッウィン)だ。張國榮(レスリー・チャン)と同じ名前だな。(ちなみに 『ファイナル・プロジェクト』 ではジャッキーと呼ばれていて、これがシリーズ3までの主人公チェン・カクーの英名という設定なのか、明確な確認はできていない) あのカクーがこんな落ちぶれ方をしたら別の意味でショックなので、別人物設定なのはありがたい。
これまで担当したすべての事件を解決してきた優秀なチャン警部は、ダニエル・ウー率いる若者の銀行強盗団の罠にかかり、大切な部下たちを殺されてしまう。新人類と呼ばれる若者たちの現代的なコンピュータ犯罪に、古い組織体の警察がついていけなくて右往左往するのはどこの国でも同じ、切実な問題だろう。部下を救えなかったチャンは自分をひたすら責めて酒におぼれ、婚約者と会うことも拒絶したまま、一年が過ぎてしまった。
もうこれ、アメリカ映画などでは絶対的なパターンなんだけど、とにかくおっさん主人公はかつての栄光を忘れて落ちぶれてるもんなのだ。ブルース・ウィリスだってスタローンだって、シリーズが2になろうが3になろうが、いっつも冒頭ではしょぼくれたおっさんになってる。周囲のおせっかいが彼を表舞台に引っ張り出し、事件に巻き込まれていきながら、もう一度本当の自分を取り戻していく…というのが、典型的な中年主人公の映画だろう。
アメリカ映画の使い古されたパターンと切り捨ててしまえばそれまでだが、パターンを侮ってはいけない。それは物語構成の基本的なセオリーだから、手垢がついても使い続けられているのである。オーソドックスっていうのは決して悪いことではなく、民衆に広く受け入れられるものとして、長い歴史の中で自然に成立してきたものなのだ。基本を押さえて初めて新しい発展が可能になる。
若い頃は真の挫折は知らなくてもいいのだよ。勢いに任せて突っ走ればいい。正義感だけでは乗り越えられない壁にぶつかり、情熱を失っていくのが歳をとるってことだ。世間にはそんな人生にくたびれたオヤジが大半で、でも心のどこかでもう一度、頑張りたいって思っている。きっかけさえあれば、もう一度情熱を燃やして、何かを成し遂げたいと密かに願っているから、挫折した中年オヤジが主人公の映画は不滅なのだ。彼らは映画の主人公に今の自分を投影して、アル中で、妻に愛想をつかされ、娘にシカトされた情けない男が、もう一度立ち上がって栄光を掴む姿に熱いエールを送るのだ。
それって正義のためとか愛する誰かのためとかいうより、もっと根源的な衝動だと思う。本質は「人間の尊厳」を取り戻すための、とても個人的な内面の戦いだ。世界の誰でもなく、自分が自分を「生きていいんだ」と認めてやれなきゃ、何も始まらないことだから。
だからKは別に落ちぶれた中年オヤジではないけど、こういう「人間の尊厳を取り戻すために戦う主人公」の映画は嫌いではない。人生の真実を突いていると思うし、人間として共感できる題材として認めている。
んーで、 『新・ポリスストーリー』 でKが「もう一歩、ジャッキーが汚れ役をやれたら…」と呟いたのは、まさにコレ。ジャッキーに欠けてるな、と感じていたのは、こーいう地べた這いずり回る絶望のどん底に堕ちた、超カッコワルイ姿なのだ。今までだってジャッキーはカッコいい完全無欠のヒーローだったわけではなく、負けたり逃げたりカッコ悪いとこはあったけど、でも最低限のラインから下には堕ちることがなかった。どこか虚構の世界のヒーローのままで、我々も大人になるともうちょっと現実的な人間像が見たいと言うか、生々しい人間が頑張る姿を求めていた部分があったと思う。本作を見て、あのジャッキーがここまで演ったのか…と新鮮に驚き、やっと新しい境地に踏み出したな!と感動もしたのでした。
…いや、正直、この映画は重いです。特に前半、部下たちが殺されていく様を描いている辺りはジャッキーの熱演もあって、正視するのがちょっとしんどい。一ヶ月以上、同じ作品を毎日繰り返して見続けるヘビーリピーターのKにはちょっとキツイなぁ…と思うが、部下も栄光も誇りもすべて失い、人目をはばからず涙を流し、浴びるほどに酒を飲んでゲロ吐いて、といったジャッキーの落ちぶれっぷりは見事だ。Kが20歳そこそこの小娘だったら「こんな負け犬ジャッキーはイヤだ!」と思ったかもしれないが、今ではオヤジの渋い魅力もわかるようになったからなぁ。
外見も映画の内容とぴったりで、今まで寝転んでいたことがわかるボサボサの髪の毛や、酒焼けした顔や腫れた瞼、どんよりした目など、メイクなしでこんだけ疲れ果てた顔ってできるものなんだね。映画のほとんどで伸び放題の髪(白髪は染めてんだろうけど)やくたびれたジャンパー姿で走り回っているのに、しょぼくれたおっさんがだんだん表情が引き締まり、カッコよく見えてくるのはなかなか凄いことだ。若手俳優たちがきれいな顔立ちなのに対して、戦い疲れて煤で汚れたような顔になってても、気迫のこもった表情や存在感では全然負けてないなぁ…って思う。
特に気に入っているのは、引ったくり犯を捕まえて一年ぶりに警察署に姿を表したチャン警部に、同僚の警部(ユー・ローグァン)が嫌味を言い、ニコラス演じるシウホンが賭けを提示する場面。チャンの犯した罪を公言する警部とそれに応じるシウホンの言葉を聞きながら、両手で顔を押さえて必死に涙をこらえるチャンの表情が強く胸に響く。その前の、恋人ホーイー(チャーリー・ヤン)と久しぶりに再会した時のつらそうな顔も真に迫ってたんだけど、こういう公の場に来て、泣くことも許されない自分の罪を知っている男の姿はなんか…抑えた演技の中に切なさがあって、本当に痛々しく感じる。ジャッキー、やっぱ巧いなぁ…。
そんなチャンを支える、というか事件に引き戻すキーパーソンになるのが謎の新米警察官・シウホンだ。ニコラス・ツェー、いいですねぇ! 他の映画で何度か見てもなかなか顔が覚えられなかったんだけど、これでやっと個別認識できるようになったぞ(←お前…;)。相当気に入った。いつも羽織っている大事なアーミー・コートが遠目では 『踊る大捜査線』 の青島巡査に見えてしまうんだけど、 『踊る―』 は香港でも上映されてたのかな?
ベテランとルーキーのコンビってのも刑事ドラマの定番だが、シウホンがちょっとミステリアスな設定なのが面白い。物語の中で清涼剤のような爽やかさがあり、いやぁ婦警役のシャーリーン・チョイよりも柔らかい華があった(笑)。何故かチャンに付きまとい、献身的に励まし、時に無邪気に行動の後押しをしてくれる不思議な存在で、ラストは「天使だったのか?」と言いたくなるほど、ふわっとチャンの前から消えていった。そりゃ狙い過ぎだって(笑)。
アクションもすごく頑張っていたね。元警官のサム(ディブ・ウォン)のいる店へチャンと訪れた時、酒場で乱闘になるシーンで、まだ酔っ払いのチャンがいったん奥の部屋に逃げ込むのだが、一人で多人数と闘っているシウホンを見て、意を決して飛び出してくる。この時、なんかホントにジャッキーの「ポリスストーリー」が復活したように思えて、泣きそうになってしまった。で、シウホンが叫ぶ。両手を挙げてガッツポーズしながら。
「Yah! That's my Man!」
この後も何度か彼はこういう風に叫ぶのだが、我々の心を代弁してくれるようで、すごく好きだ。
「さすが俺のヒーロー!」 …世界の誰にとって英雄であるかなんて関係ない。ここは自分だけのヒーローであれば、それだけでいいんだ。どんなに落ちぶれたってカッコ悪くたって、自分にとってのヒーローだった「彼」が昔の雄姿を見せてくれた時に、心から感動して歓声を上げたくなる。そういう喜びを無邪気に表現しているシウホンには、ジャッキーファンとしてはどこか感情を重ねてしまうところがある。
もう一人、忘れちゃならないのがダニエル・ウー。この人も癖のある悪役が多いな; アクの強い役を多く演じているのは、演技達者である証。香港にはサム・リー、エディソン・チャンなど、わりと個性派な演技力を持つ若手俳優が目立つね。
今回のダニエル扮するジョー、シウホンとは対極にある同年代の若者で、彼らの極端な違いが映画に幅を持たせている。すげぇ憎たらしい悪役だが、現代世界が抱える問題を体現していて、監督の意図としては犯人側の心の闇にも迫ろうとしたようだ。ただ、チャンが自分を取り戻していく姿とジョーの屈折した心理を両方追うのはちょっと時間が足りず、無理があったように感じている。父親との関係や感情を理解するにはエピソード不足で…父の言葉に絶望して死を選ぶというラストが、一回見ただけではちょっとわかりにくかったと思う。
うーん、ベニー・チャン監督、ドラマとアクションのバランスなんかはとてもいいんだけど、個人的にはドラマ部分の演出をもう少しさらっと、べたつきなく見せてくれた方がいいかな。ま、完全に好みの問題で、ウザイほどではないけど…もっと短くテンポよく見せられる演出を望みたい。
物語全体も、ホントはいろいろおかしなところがある。とりあえず一般人が警官のフリして取調室まで入れたり、爆弾持って警察署内の奥の会議室まで入って来られる香港警察署の警備体制は考え直した方がいい(笑)。それから終盤、牢にいるチャンたちをジョーたちが訪ねて来るとか、わざわざ逮捕したチャンの脱走を署長も署内の皆も見逃しているとか(だったら最初から逮捕するなよ…;)、コンベンションセンターでジョーたち強盗の行動や警察の動きが支離滅裂になっていたりだとか、多分いろいろカットした部分が多かったのだろう。まぁ話の大局には影響がなく、壮大なラストアクションがうまく帳消しにしている印象があるので、追求するつもりもない。別に重箱の隅をつつきたいわけではなく、多少破綻していても全体の流れとして気にならなければ、それはいいんですよ。
最後にアクションについて。
アクションは多くはないが、少ないと感じるほどでもない。ドラマがしっかりしているから気にならないんだろう。中盤の二階建てバスの暴走シーンは「ポリスト」シリーズならではのもので、ジャッキーからファンへのサービスだろうね。最後のアンディ・オンとの格闘はしっかり作りこんでいて、久しぶりに見てて興奮するほどの出来上がりだった。飛び蹴りをしようと空中にいるアンディをローキックで蹴り落とすとことか、カッコイイぞ〜! まだまだやれるなジャッキー!
コンベンションセンターの屋上でのシーンも、ジョーと対峙した時に見える香港の街並とか 『インファナル・アフェア』 の名シーンに似てて好き。ロープで宙吊りになったシウホンを救うため、チャンは再びジョーと銃の組み立て対決をすることになる。一年前の悪夢を真の意味で乗り越えるため、目を閉じ、決意して勝負に挑むチャンの葛藤の表情、これがとにかくすッッごくカッコイイんだ。そして、組み立てる際に銃弾ひとつをチェンバーに放り込み、マガジンを嵌める0.1秒の時間を短縮して見せた機転にも脱帽。敗北を次の勝負に活かした者が真の勝者になれるんだね。やっぱ香港アクション、好きだぜ!
…ちなみにアンディ・オンがジョーに撃たれた時、チャンが警官隊に「重症の怪我人を助けてくれ!」と必死に訴えているのを聞き、アンディがチャンの背中に向けていた銃を落とすシーンとかもいいね。その少し前、ジョーが逃げようとした仲間を撃つのを見て呆然としていたアンディの姿が、チャンの正義の信念に触れ、銃を下ろす伏線になっているわけだ。罪を憎んで人を憎まず、なんて奇麗ごとだとKは思うけど、それを信じるチャンの人間性を否定する気にはなれない。情けは人のためならずって、正しくはこういう意味なんだろうね。
…というか、シウホンの存在すら、チャンにとって「情けは人のためならず」だったんだよね。情を持って人に接すれば、いつかどんな形でか、それが自分自身を助けてくれることがあるんですよ、きっと。
……自分で書いててそうなのかと思ったよ。これから心がけようっと(笑)。