クンフーブーム爆発編 ![]()
| 少林寺木人拳 | カンニングモンキー天中拳 | スネーキーモンキー蛇拳 |
| 成龍拳 | 拳精 | ドランクモンキー酔拳 |
| 蛇鶴八拳 | ドラゴンフィスト龍拳 | クレージーモンキー笑拳 |
日本でカンフーが広く知られるようになったのは、1970年代初めのヒーロー、故ブルース・リーの作品であったと思われるが、その後、ジャッキー・チェンの 『酔拳』 『蛇拳』 などのいわゆるコメディタッチなカンフー映画が輸入され、子供たちを中心に一大ブームとなった。これは当時の香港でもニューウェイヴな分野であり、香港はじめ、アジア各国でジャッキーチェンをスターの座に押し上げた作品である。
それまでのカンフー映画は敵討ちなどが主流で、暗くてシリアスでひたすら戦っているものがほとんどだったのだが、ジャッキーの 『蛇拳』 などでは戦いの中にコミカルな動きを取り入れ、明るく楽しめる娯楽作品へと変貌し始めた。ジャッキー・チェンのアクターとしての躍進劇はここから始まると言ってもいい。
この当時、ジャッキーチェンが主演した作品群の中で、『酔拳』 『蛇拳』 『笑拳』 『天中拳』 などは日本ではモンキーシリーズと呼ばれ(別にシリーズではないのだが)、なぜかシリーズに入れてもらえなかった 『拳精』 なども合わせて、コミカルカンフー、またはコミックカンフーといわれるものに分類される。さらに、ジャッキーブームに後押しされ、これより少し前に彼が主演を務めたシリアス系の復讐カンフー映画も日本で公開されることとなった。『少林寺木人拳』 『蛇鶴八拳』 『龍拳』 などがこれにあたる。こうしたブームに位置づけられるジャッキーのカンフー映画は、日本版の題名にもとづき、総称で「拳シリーズ」などと呼ばれている。
これらの古い香港映画は、長い間、当時のテレビなどで放映された形で見ることができなかった。
映画を買って配給した東映が、日本公開時に独自のアレンジをしていたのだ。オープニングや劇中に日本語の歌などを挿入して、日本独自のバージョンを作成するのが当時は一般的に行われていた。さらに、テレビ放送時に日本語吹き替えが加えられる。それが日本で一気に広まった「ジャッキー映画」の初期形態なのである。
子供時代にジャッキーの初期カンフー映画を見て育った、いわゆるジャッキーファンの「第一世代」にとって、この初期形態には特別な思い入れがある。それは理屈ではなく、刷り込みみたいなものだ。日本語挿入歌と石丸さんの吹替えは、自分たちが出会った「ジャッキー映画」の原型として、強烈に記憶に刻み込まれているのである。
特に日本版挿入歌の人気は非常に高く、この世代のファンは程度の差こそあれ、日本挿入歌バージョンにはこだわる傾向がある。実際、ラストバトルの時など、日本版の歌が入るのと入らないのとでは盛り上がりが全然違う。しかしVHSビデオでもほとんど未収録だし、著作権の問題が絡んでいるため、DVDが何度か再販されてもなかなか収録されなかった。日本版挿入歌バージョンは「幻のバージョン」として語り継がれてきたのだが、2012年、ついにこのバージョンがついた日本語吹替え版のブルーレイが発売されたのである。
(第二世代以降のファンにとっては、どうでもいいことかもしれないが) 日本版挿入歌バージョンはある意味、ジャッキーの歴史を知る上で避けては通れないアイテムなので、機会があれば手にとって見て欲しいとは思う。
バージョンといえば、日本語吹き替え版、字幕版、はたまた台湾版(?)などで登場人物の名前なども変わってしまうという不可思議な現象も存在する。同じ主人公の名前が「巣呆」だったり「簡福」だったりすることがある。もし別のジャッキー映画レビューで、ここでKが語っている登場人物の名前が違ったとしても、違うバージョンの名前を採用しているだけだと思ってください( ^ ^;)
そういうわけで、カンフーブーム大爆発時代の、ジャッキー映画初期シリーズです。
『少林寺木人拳』 (1976)
【あらすじ】 イーロン(一龍=ジャッキーチェン)は幼い頃に父を殺され、言葉を話せなくなった若者。少林寺で拳法を習うために日々、基礎訓練を重ねている。ある日、立ち入り禁止の洞窟に入り、そこで鎖につながれた男と出会った。ファツー(カム・コン)というその男に気に入られ、イーロンは拳法を教わり、少林寺の難関「木人巷」を通過して一人前の拳法使いとなった。
しかしその後、ファツーが洞窟から脱出、ならず者集団を引き連れて少林寺に対して復讐を始めた。イーロンは大師リンクンに新たな秘拳を授けられ、迷いながらもファツーと闘うことになる。しかし、戦いの最中、ファツーこそが十数年前、父を殺した仇であったことを知る……。
多分、日本で劇場公開されたジャッキー主演映画としては一番古い作品だろう。物語は地味で暗いシリアス調ながら、日本では意外と愛好家が多い。ブレイク前のジャッキー出演作は別ページで紹介している通りだが、そうした初期作品の中では群を抜いてよくできている佳作である。
ただし、Kは小学生時代に初見した時に「ジャッキーの顔が違う」という違和感を持った記憶がある。本作のおかげか、当時はジャッキーが整形したという話は有名だった。整形といっても一重瞼が二重になったという程度のことなのだが、目が変わると人間の顔の印象は全然変わってしまう。二重瞼の大きな目をしたジャッキーを「ジャッキーチェン」だと最初にインプットした小学生にとって、本作のジャッキーを受け入れるまでは多少の時間がかかったように思う。
それでも、何度かTVで見ているうちにこの作品も気に入ったらしい。多くの同世代ファンと同じように、木人の真似して遊んだ記憶があるし、ジャッキーが最後の場面で初めて言葉を喋るというインパクトが、普段とは別の意味でカッコイイと感じて好みに合っていたんだろう。当時からかなり好きな作品のひとつではあったのだ。
さて、物語。主人公は当時のパンフレットやなんかでは「イーロン」と紹介されているが、実際は明確な名前がないようだ。周囲からは「唖仔(喋れない小僧、といった意味)」と呼ばれている。昔の日本語吹替えで「だんまり」という呼び名だったのがニュアンス的にぴったりかと思うが、今じゃこれも差別用語といわれるのかな…?
少林寺で修行して2年になるが、要領が悪いのか、水汲みも遅くて仲間にからかわれたり、僧侶から厳しく指導されている。でも基本は素直で心優しい性格なので、酔っ払い僧や、客僧の尼さんなどには目をかけてもらっているのだ。親を殺され、2年前少林寺に入門するまで、どこで何をしていたのか不明。
そんな時に出会った洞窟の囚われ人、ファツー。荒々しい態度や声に気圧されながらも、恐る恐る近付いて饅頭の皮を剥いて差し出すイーロンの邪気のない表情がかわいい。この作品、昔のジャッキーの顔だからいいんだろうな。腫れぼったい一重瞼で迫力もなくて、「どこにでもいる普通のアンチャン」といった顔をしている。気弱そうというか人が良さそうというか…戦闘向きの顔じゃないところが、この物語の情緒に合っていていいんだろうなと思うのである。
ちなみにのシーン、まんじゅうが美味そうで、アンマンの皮を剥いてから食べるという子供たちが日本中で続出したことはよく知られている…かもしれない。Kもやった(笑)。
そしてファツーと心通わせ、拳法を教えてもらうことになる。ファツーは急所狙いの一撃必殺拳を教えるが、一人修行に励むイーロンのその拳を見て、尼僧は「少林寺の拳法は生の道、殺気を出してはいけない」と諭す。そして蛇意八歩という拳法を伝授してくれた。この尼僧がジャッキーの二人目のお師匠さんになる。この物語ではファツーだけでなく、いろんな人から拳法を教えてもらうのだ。
そうしてついに木人巷に挑戦するイーロン。この試練に合格すると一人前の拳法使いと認められ、少林寺から下山することができるのだ。…しかし、まだ正式に拳法を教えていないはずの見習いでも、卒業検定試験に申し込むことができるのか? そこらへんのシステムは謎だぞ少林寺。
それはともかく、木人たちとの戦いはなかなか迫力がある。ただの木人が立ち並んでギシギシ動いているだけなのに、けっこうドキドキしながら魅せるのは、カメラワークとかうまく使っているせいなのだろう。木人がもっと人間っぽく動いてしまったり、人間側が木人の動きを誘導するような場面が見えてしまったら、逆に笑えるところだもんな。製作から30年以上たった今見ても、この闘いの場面はよくできていると思う。
イーロンは無事木人の通路を制限時間内に突破することに成功し、両腕に竜虎の焼印をつけて――けっこう痛そうなんだコレが――、少林寺から出て行くことになった。ここまでがまだ映画の半分ほどで、木人はそれ以降、全然出てこない。
イーロンが拳法を取得し、山から下りた目的としては、どうやら父を殺した仇を探すためだったと思われる。しかし、食堂屋の娘を助けたことがきっかけで、ちょっとした用心棒のような住み込みをしていたようだ。(ちなみに、食堂の乱闘ではチョイ役でユンピョウが登場している ^ ^ ) 一方、ファツーは洞窟から脱走し、自分を捕らえた4人の格闘家と少林寺に復讐をするために動き出した。イーロンには親切な師匠だったが、実はとても悪い奴だったのだ。イーロンは一度はファツーを少林寺の追っ手から助けたが、彼が罪もない家族を殺してしまうのを目の当たりにし、信頼を失って迷い始めた(と、思われる…なにしろ喋らないので、心理は憶測するしかない/笑)。 ファツーも弟子のイーロンにはちょっと情があるようで、自分の手下たちが誘拐した食堂屋の娘を返してくれたりする。
一方、父の仇かもしれない、と思う男に遭遇したりして、イーロンもいろいろ思うところがあったらしい。少林寺の館長から、何かあれば訪ねるようにと教えられたリンクン大師の元へ赴いた。目が見えない大師殿と喋れないイーロンの間で会話(というか意思疎通)が成り立つのか怪しいところだが、館長がやってきて口添えしてくれたおかげで、大師の拳法を伝授してもらえることになったのだ。
そして、少林寺の命運をかけて、イーロンはファツーと対決する。この時、ファツーが父を殺した仇敵だったということが判明し、初めてイーロンが絞り出すように言葉を発するのだ。
「――どうして殺したんだ」
その場にいた全員が驚いた表情をした。イーロンが喋れるとは誰も思っていなかったのだ。
か、カッコイイ〜! このシーンは覚えてるよ、何度も見たよ!
本当は喋れるのに、父の仇を見つけるまでは喋らないと誓ったイーロン、なんでそんなややこしい誓いをたてたのか意味は不明だが、この手の復讐モノストーリーの基本パターン、「我慢して我慢して、ついに怒りが爆発!」と同じ構造なのだ。沈黙に沈黙を重ねて、最後にようやく口を開くという、物語の主軸と同じ構図を二重に被せてきたのがうまい。ただ初めて喋ったというそれだけなのに、やたら盛り上がった気分になる。
このためにここまで喋らない設定を引っ張ってきたのかぁ〜!
古典的ながら実に正解。そして、最後のバトルへと繋がってくるわけです。
このラストバトル、東映の日本公開版では謝花義哲の「ミラクル・ガイ」が挿入歌になっていて、闘いをさらに盛り上げていた。Kはよく覚えていないくせに、この東映バージョンを見ると懐かしさで胸がいっぱいになり、涙が出そうになる。歌詞の入ってないバージョンと歌詞入りのそれが場面に応じて流れるのだが、ハスキーな掠れ声での歌詞入りは特に感動する。ファツーがイーロンに最初に教えた拳法の構えをとって見せた時、イーロンがはっとした顔になり、同じ構えで応じてみせるシーンなんかも、敬愛する師が仇敵だったという皮肉な運命が浮き彫りになって、ひどく切なく感じられるのだ。
カンフー対決という観点では、まだ初期の作品なので、ジャッキー特有のリズム感あふれるバトルではない。組み手や拳の打ち合いもまだまだ未熟感を残しているが、それを補っているのが根底に流れている師弟の「絆」の物悲しさなのだろう。
倒れたファツーに、「少林寺に戻って罪を悔い改めてくれるなら、父のことは水に流します」と言うイーロン。ファツーはそんな弟子の頭を撫でて了解した…かに見せて、最後の反撃を繰り出す。そして自らの狂拳で命を落とすのだ。一部では、彼の最期を「裏切りに見せた自害だった」と捉える見かたがある。K個人はファツーがそこまで情に流される性質だとは思わないが、本当にそうだったなら、二人の絆の深さに泣けるよなぁ…とも思う。
喋らないジャッキーというのは今見ても新鮮でいい。ジャッキーは全身で演技をするしかなくて、その仕草が当時の素朴な顔と相まって、朴訥とした感情の動きが感じられる。周囲の人の会話でもって物語は進んでいく。
「この映画には情緒がある」という人がいたが、まったくその通り。ジャッキーの魅力はいろいろあるが、本作には日本的な「共感性」が強く感じられるのではなかろうか。香港人はどうか知らないが、日本人のようにちょっとした仕草で相手の感情を判断しようとする民族は、ジャッキーがうなだれたり、不思議そうに頭を掻いていたり、キッと顔を上げた時の表情を見ながら、この主人公の心を推し量ろうとする。いつの間にかそこに感情移入して、彼がふっと目を伏せる表情に惹き込まれてしまうのである。
物語全体も味わい深い。基本はよくある復讐カンフーものなのだが、蛇意八歩を教える尼僧や、直接の師匠ではないがイーロンを温かく見守る酔っ払い僧の表情であるとか、ファツーが師であると知った館長のイーロンへの態度とか…それぞれのキャラクターがわりとしっかりしていて、イーロンを取り巻く人々が優しい。何よりファツーとイーロンの交流や、互いへの葛藤の描き方が丁寧で、どこか温かい演出をしているなと思うのだ。
こういう「情緒」をどこまで計算して作ったのか定かではないが、映画としてはよくできているだろう。ジャッキーの衣装とか肉体美なんかもかなりいいし、正直、人材も揃っていなかったはずの初期作品時代にこの出来栄えは、奇跡的な完成度の高さなんじゃないか、とまで思っている。一体誰の功労なんだろうか(笑)。後に天中拳とか蛇鶴八拳とか作っているチェン・シーホワ監督だけのセンスとも思えないんだけど…。
もちろん、上に述べたようにカンフー格闘は後年に比べればまだまだだが、むしろ木人路という奇抜な設定やそこでの殺陣の独創性なんかが、後のジャッキーイズムの片鱗を感じなくもない…かなぁ(笑)。
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『成龍拳』 (1977)
【あらすじ】 江南地方の一帯を治める総督の還暦祝いの夜、15年前に壊滅させた花蜂党という盗賊団の襲撃を受ける。総督の御曹司・シャオリー(小雷=ジャッキー)は両親と共に戦うが、若き女盗賊に両親を殺されてしまった。その後、恋人の千々(チェンチェン)と親友の金川を捜し求めるうち、警備隊の隊長・竜囚に命を救われたり、神出鬼没の花蜂党の女頭領につきまとわれたり、なんかそんなことをしているうちに千々と金川が結婚するという情報が入ってきた。金川に裏切られたことを知ったシャオリーは復讐を誓うが……
いやもう、どうしたもんだかな…。あらすじの時点で、すでにどうまとめたらいいのかわからなくなった
ロー・ウェイ監督の、剣劇?的カンフー映画。ていうか…ロマンス・ファンタジカル・アクションとでも言えばいいのか? とにかくいろんな要素が入っている。
とりあえずわかることは、時代設定が今までより古い。ジャッキーは長髪の鬘をかぶっているので、ホントに時代劇って感じ。大昔に見た時の記憶はほぼ無いに等しいが、かつら姿の長髪ジャッキーに拒否反応を起こしたことだけ覚えている。今見ればそうでもないが、ガキの頃のおいらはいろんな意味で許容範囲が狭かったらしい。
武侠モノならワイヤーアクション。役者は空を飛ぶのが香港映画界の常識です。というわけで、他のジャッキー映画ではあまり見られない空飛ぶワイヤー特撮が多用されているんだが、これがまたチープすぎてどうにもならない。まぁそこは30年以上の時代差があるので目を瞑るとしても、そこに輪をかけてグダグダな物語が展開していくのだから、もはやどこからツッコんだらいいのかわからないほど見事な作品に仕上がっているのである。
主人公のシャオリーは、一応将来を決めた恋人がいたのだが、盗賊の襲撃を知って無理やり別れを告げる。そんなシャオリーにどうやら一目惚れした女盗賊、彼が恋人の千々のことばかり想い続けるのでムカついたらしく、ものすごい意地悪をしていくことになる。今で言うドSなんですな(笑)。しまいには燃えてる石炭を食べさせたり焼きゴテで顔を焼いちゃったりと、考えてみると壮絶な嫉妬をしている…んだが、なんかもうほとんどコメディ。
一方の千々って女もたいした美女ではないが、金川も気に入っていたらしく、「シャオリーは死んだ」と嘘をついて彼女に求婚。すると女があっさり承諾する。この金川が相当悪いヤツで、シャオリーの恩人・竜囚も殺害してしまうので、シャオリーは恩人の仇討ちも兼ねて最後の戦いを挑むことになるわけだ。
そんなわけでほんのり「東京ラブストーリー」的な人間関係…ちょっと(かなり)過激な色恋騒動、と思い込んで見ようと思えば、見られないこともない。
もうね、物語の展開も登場人物の行動も支離滅裂。演ってるジャッキーも途中からスジが全くわからなくなっていたそうだが、そりゃそうだろうな(笑)。大真面目に深刻ぶった話になればなるほど、見てる方が笑っちゃうという悪循環だ。とりわけ、シャオリーが金川に戦いを挑むと決めてから修行を始めるシーンではもう…
ゴメンなさい、笑ってしまった。
や、ジャッキーが一生懸命やってるのはわかってるんだよ。わかってるんだけど、世の中には努力が報われないことってあるんだよ。
特に秘伝書も何もなく、なぜか人型の板を用意したシャオリー、しばらくバシバシと叩いている。ちょっと強くなったような気になったらしく、女頭領に勝負を挑む。「負けたら何でもいうことを聞く」という条件で。
で、負ける。女頭領は火箸に挟んだ炭を突き出して「食べなさい」と言う。シャオリー食べる。
もっかい修行。今度は綿入りの人形を作って木の上から吊るし、人形相手にボコボコに殴る練習をする。そして再勝負を挑む。
で、負ける。女頭領は今度は火箸をそのままシャオリーの顔にジュッと押し当てる。
もっかい修行。相変わらず人形相手に憂さ晴らしをするかのように、殴ったり蹴ったりを繰り返す。そして再々勝負を挑む。
また負ける。今度は毒の酒を飲めと言われて飲む。すると女盗賊は「実は毒じゃなくて私の血なのよ」と言い、そんなに金川を倒したいなら、と成龍拳とやらの奥義書を渡すのだ。
この下りはあくまで大真面目なドラマなのだが、あまりに間抜けな行動とテンポが「三段オチ」なノリのため、「笑うところじゃない」と自主規制が必要な場面だ。何回か笑っちゃったけど(爆)。大体、人形を殴っていて強くなれるのだろーか…
ものすごく穿った見方をするなら、シャオリーは金川に顔も声もよく知られているので、別人として近付くために女盗賊がわざとシャオリーの声と顔を潰した…というふうに取れなくもない。が、金川の屋敷の番人はシャオリーのことなんて知らないし、あっさり屋敷に侵入した後、金川を見つけるとすぐ自分の正体をばらしているので、顔を焼いたことはまったく意味がなかった。結局、これは純粋に女盗賊の嫌がらせだったかと思われる。
さらに、ラストバトルで成龍拳とかの珍しい技が出てきたかと言えばそんなこともなく、屋根の上に飛び乗り、飛び降りて、塀を乗り越え、とぴょんぴょん飛び回りながらカンフーをするんだけど、ジャッキー弱いぞ。
なんつーか…この辺りの作品を見ていると、自分てあまりカンフー好きじゃないんだろうなと実感する。集中して見ようとしてもすぐ飽きちゃうの。ジャッキー独特のリズミカルでファンキーで、静動のテンポがクルクルしてて、ビックリするような身体能力が見えたりするようなカンフーはすごく好きで何回見ても飽きないんだけど、この作品ではまだそこに来てないんだよな。 『天中拳』 『蛇鶴八拳』 のラストバトルあたりからテンポのとり方がジャッキーらしくなってると思う。(そして 『笑拳』 でひとつの完成形に到達している)
まぁ本作ではどう考えても金川の方が強くて、シャオリーは一発殴っちゃあ五発くらい蹴り飛ばされている。しまいには脳天が弱点だとか言い出して(誰だって脳天は弱点だろ…)、それすら決着の伏線にもならずに相手の首絞めて殺したぞ。
まぁ、ようやく敵を倒しました。焼け爛れてた顔がボコボコに殴られ、ますます見るに耐えない顔になっているため、もはや表情のアップはない。ついでにバトル前に切り落とした髪もひどいザンバラぶりで、声もガラガラ。千々はそんな顔も髪型も声も変わり果てたシャオリーでも、「ついていきます」というわけでハッピーエンド。
多分本来のヒロインである女盗賊は、ずーっと切ない片思いを続けて、結局男は振り向いてくれなかった(あんなことされて好きになる男はいないわな)けど、最後に「ありがとう、この恩は忘れない」と言ってくれただけで満足よ……という表情で立ち去っていくのだった。
日本公開時は主題歌「成龍拳」(北原 深)が挿入。カッコイイ曲なので、バトル時に流れると少しはテンションが上がって見ごたえがある。しかし作品全体の印象は何度見返してもあまり変わらないという、残念な感想に尽きるようだ。
…まぁ、こんなどうにもならない作品に出演していた頃もあったんだね、ということで。
…それ以外に言えることはないです。脱兎!
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『蛇鶴八拳』 (1978)
【あらすじ】
少林寺8派の長老たちが年に一度集まる集会で、新しい無敵の拳法を作った。その名も「蛇鶴八歩の拳」。しかしその後、8人の長老と秘拳の虎の巻は行方知れずになってしまった。
時は流れ、「蛇鶴八歩」の虎の巻を持つという若者が出現する。徐英風(=ジャッキー)というめっぽう強いカンフー使いだ。幻の秘伝書を見せつけるようにしながら、英風はそれを奪いに来る刺客たちを次々に倒し、「左肩に痣のある男」を捜し続ける。ついにその男を見つけた時、彼は蛇鶴八歩の秘伝書に隠された秘密について語り始めた……。
ロー・ウェイの元にいた頃、チェン・シーホワが監督を務めて撮った作品のひとつ。 『蛇拳』 『酔拳』 などと同年だが、ユエン・ウーピン監督らと出会う直前の作品と考えられる。
おそらく1〜2月頃の極寒期に撮影されたのだろう。川には氷が張ってるし、吐く息は白いし、衣装もロシア帽とか毛皮の上着を着ていたりする。撮影地は韓国だったんだろうか… こんな寒そうな野っ原で格闘の撮影をするなんて、南国・香港育ちの人たちには辛かっただろうなと思ってしまう。
で、本作はその前の 『成龍拳』 同様、北京語のみ製作されていたようだ。当時の香港映画は広東語と北京語の両方があり、どっちにしても吹き替えなので俳優陣の生の声は聞くことができない。カンフー映画は広東語が多いと聞いた気がするが、1978年以前だとわりと北京語製作もあったらしく、両バージョンで存在していることもある。 『龍拳』 なども「幻の広東語版発掘」なんて宣伝してたな。
北京語では「蛇鶴八歩」は「スゥフゥバァブ」、ジャッキーの役名「徐英風」は「シューユェンフォン」と聞こえる。そこで、今回は主人公をシュウと表記することにする。
映画の中身については、ジャッキーがとにかく強い! 最初の登場からチンピラどもをなぎ倒し、町の食堂でも次々に襲ってくる極意書目当ての男たちを、殴る蹴るブッ飛ばす。ジャッキーのこの時代のカンフー映画でお約束の、「最初は弱く、厳しい修行をして強くなって、敵を倒す」という基本パターンがないので、どちらかというとジャッキーのカンフーを堪能したい人向けの映画、とも言えるだろう。
あんまりにもカンフー三昧のシーンばかり続くので、Kなんて最初はちょっとうんざりして「いつまで続くねん」と思ったほどだ。
シュウは「喧嘩するのが趣味でね」と豪語するほどで、自信家でかっこつけ。「俺は頭がいいんだぜ。教養にあふれてる。いわゆる天才ってヤツだな!」とぬけぬけと自分で言っている。そして女性に対しては「女は厄介だから取引はしない」と言いつつ、ノラ・ミャオ扮する四川唐門の美人総帥には「あんた、美人なんだからもっと笑った方がいいぜ」なんて言うのだ。何だこいつ〜変な髪形で変なメイクしてるくせに、キザったらしい言動が逆に面白いぜ〜(笑)。
でも、途中で師匠らしき人物の元を訪れ、神妙な会話をしている。どうやらワケアリでこんな喧嘩を売って歩くような無謀なことをしているらしく、ただの喧嘩自慢じゃなかったんだな、と気付いた辺りから話がちょっと面白くなってくる。
主役はシュウなのだが、彼に群がってくる連中がバラエティに富んでいて面白い。乞食派(?)の長老であったり、乞食少年姿をした飛虎党の頭領の娘であったり、美人総帥であったり。しまいには牢で一緒になった変な爺さんに気に入られて、ムリヤリ義兄弟にされている。この爺さんの仕草や言動はなんとなく愛嬌があり、シュウも呆れたように腕を組んで首を振りつつも、笑って付き合ってやってるのが微笑ましい。
ついでに、ノラ・ミャオが凛々しい戦闘服姿で、笛を武器にした華麗な闘いを披露しているのが素敵ですv ジャッキー映画で見るノラ・ミャオは本作が一番魅力的だろう。
登場人物たちも個性的だが、次々に展開されるカンフーシーンも実はなかなか、変化に富んでいる。川原での雪の中の格闘、食堂屋での屋内乱闘、女性コンビとのちょっとイロモンな闘いなど、それぞれ色分けした振り付けをしているのがわかると、この映画は面白くなる。個人的には、冒頭のテイ兄弟が鉄拳の助っ人を呼んできて再戦した、お寺での闘いとかが好き。怪力の助っ人に対し、シュウが背中に回した手で人差し指と中指を交差しながら握り拳を作るトコとか…そういう拳の握り方で破壊力が増すのかなーとか、少々玄人っぽい描き方をしている感じがいい。
そして中盤で、方世平を助けて黒龍党の一団が剣で襲ってきた時の闘いはすごく好きだ。剣手たちを次々にかわしながら手首を打って剣を叩き落したり奪ったり、この時のシュウが超〜カッコイイ! この時点では剣で闘っても、すべて峰打ちなんだよね。本当の「敵」と確定できるまでは、相手が本気で襲ってきてもシュウは殺したりしていない。全部剣の背中や柄の部分を使って相手を打ち倒してるのが、絶妙にカッコイイなぁ〜とホレボレしてしまう( ^ ^ )
しかし、そんな無敵のシュウも、方世平に背後から斬り付けられて深手を負ってしまった。動けなくなったシュウを、各流派の面々は手助けしたり奪い合ったりする。中盤以降はどちらかというとシュウ以外の人々が中心になって、互いに手を組んだり裏切ったり、いろいろ悶着をして話を引っぱっている感じだ。
そんで、シュウが探し続けていた左肩に痣のある男が、黒龍党の頭領・チェンティ(カム・コン)だったことがついに判明した。シュウはようやく、自分に加担してくれた人々を連れて師匠の元を訪れる。
この師匠が8人の長老のうちの一人で、シュウに蛇鶴八拳の奥義を授けた人物だった。シュウは師匠の密命を受けて、秘伝書を奪うために7人の長老を殺した男を捜していた。虎の巻を持っていると噂が立てばきっとその男が現れるはずだと、自身を囮にしていたのだった。
長老たちの仇を討つため、シュウは師匠の代わりにチェンティとの決戦に臨む。しかし敵は異常に強い。特に守りの構えに入ってしまうと、攻撃しても足に根が生えたようにビクともしない。あのシュウが相当な苦戦を強いられた。そんなに強いんならわざわざ新しい拳法を盗む必要なかったんじゃないかと思う…って、それは 『拳精』 の時もちょっと思ったけどねー。
しかしこのラストバトルの見せ場は、途中でチェンティからタッチされた槍使いの三羽烏の方だという気もする。三位一体で槍を振り回しながら攻撃してくるのだが、これがとにかく凄い。
この 『蛇鶴八拳』 と 『天中拳』 て、途中まではジャッキーが鬘(カツラ)を被っているようなんだけど、ラストで急に髪型が変わるんだよな。両方とも、一時撮影が中断して、時間を置いて再開したと聞いたことがあるので、別撮りした部分なのかもしれない。こっちは多分、ジャッキーの地毛(+しっぽ髪)なので、髪型が変わってからはすんげ〜カッコイイっす。槍使いとの闘いの途中で突然、違う髪型になり、同じタイミングで戦闘自体のレベルもガンと上がっていて、見ててビックリする。
いや、映画前半も十分レベルの高いカンフーアクションなんだけど、なんというか、リズム感とか場面の構成が変わったというのかね…例えば、槍が向かう方向にくるっと体を反転させたり、その同じ方向に体をそらして身をかわすようにすると、槍の動きにスピード感や緊張感が加わって、より迫力が出るような感じ。足元の組み換えがステップ踏んでるみたいだったり、なんかそういうリズムがちょっと変わったな、という実感を覚える。
当時のジャッキーの髪型の流れを考えると、「蛇拳」(拳精)→「酔拳」(龍拳)→「笑拳」→「ヤングマスター」と髪が伸びていってるから、本作の髪型は「蛇拳」より前であろうと推測できるが、細かい段カットにチョイとしっぽ髪をつけた感じがなんか好きだわ( ^ ^ )
話が逸れたが、ともかくこの槍使いが使う槍は普通の槍と違って、銛のように「返し」がついている。正式な名称は知らないが、突き込んだ槍を手元に引き戻す時に、返しの部分で敵を傷つけることが出来るのだ。シュウの上着が裂かれたり、掠めて傷を負ったほとんどがこのカエシ技だ。それでシュウは、踏み込んできた槍をいったんかわした後、その槍を掴んで引き戻しをさせないようにして、カエシ部分の攻撃を避けている。三方から繰り出されるこれらの攻撃をアクロバティックにかわしていくシュウの動きや、すれすれを掠めていく描写が、途中から一気に加速しててそりゃもう息を呑む。見ごたえ充分だ。
正直、今回のカム・コンは「動かざること岩の如し」な技使いなので、素早い動きでの闘いはあまり見られない。終盤は隠し持っていた武器で攻撃したり、頭突きしたりと卑怯技が多く…シュウが蛇鶴八拳を繰り出した時はさすがにテンション上がるけどね。
ちなみに蛇鶴八拳を使う時、カンフーの擬音が変わる。ドスッとかブォッとか、当たった時の効果音が鋭くなっているという、ちょっと細かい演出がある。その技を駆使して(?)チェンティを倒したシュウだが、最後にとどめをささず、息を切らせて師匠たちを見る汗だくの表情がまたいいんだよね〜
まぁそんなわけで、若干、カンフー好きな(マニアックな)人向けの細かいコダワリが詰め込まれている気がする本作品。初心者向けではないと思うが、ジャッキーがわりと本格的なカンフー技を見せている。改めて見ると、ジャッキーのカンフーを堪能できて、かなり好きだなぁ〜vv
参考情報。日本公開版では「デンジャラス・アイズ」が主題歌。これが流れながらのオープニング演舞は最高にカッコいいですな!!( ^ ^ )
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『カンニング・モンキー 天中拳』 (1978)
【あらすじ】
お調子者でいい加減、実力もないのに見栄っ張りな青年・江(コウ=ジャッキー)。雑役として雇われた屋敷で蛇使いの怖い女主人の秘密を覗いてしまい、逃げ出した。途中、森の中でムチ使いの名手が死亡するところに出くわし、相打ちして斃れた賞金首の死体を届け出て賞金をもらうことを思いつく。
英雄に間違われていい気になっていると、女主人やその手下たちが追いかけてきて、捕まりそうになったところをカンフーのうまい浮浪者風の老人に助けてもらった。弟子入り志願するコウは、その老人に使いを頼まれ、フォン・ウァイという人物に会いに行く。フォンは政府に頼まれ、反魂の薬などの秘薬を運ぶ役目を負っていた。彼に付き添ってコウも旅を始めるが、途中でさまざまな山賊たちに襲われ、師匠からもらった天中拳の虎の巻を読みつつ、なんとか敵を倒していく…という物語。
これも1978年製作、監督はチェン・シーホワ。ジャッキーの変な髪形とかメイクといい、監督やラスボス役が同じなところといい、 『蛇鶴八拳』 と連作したんじゃないかと勝手に推測している。ロー・ウェイに放っておかれた時期に仲のよいチェン・シーホワと相談しながら作ったのが、この辺りの映画らしい。連作というにはかなり両極端な二作だが、 『蛇鶴八拳』 ではひたすら気障でカッコいいクンフー使いを、 『天中拳』 ではギャグオンパレードなコメディクンフー使いを、と対になっているように感じられる。物語の中核(いくつかの流派が入り乱れて争奪戦をするトコロ)もなんだか似ているし。
ロー・ウェイはこれを見て「くだらん」とお蔵入りにしてしまい、同年に彼自身が監督をしてコミカル路線の 『拳精』 が撮られたという。
…うん、確かに 『拳精』 の方が面白いけど、所詮どんぐりの背比べなんじゃないかと思うけど( ^ ^;)
今見てみると、この映画のギャグは恐ろしく寒い。スベりまくっている(爆)。当時の香港ギャグだから仕方ない部分はあるとして、 『酔拳』 のユーモア要素やコメディタッチなどに比べれば、完全にギャグ路線を目指していることは明らかだ。まぁ、本作はこの頃のカンフー映画全体に対するアンチテーゼのつもりで作ったらしいから、いろんな「お約束」を否定して笑い飛ばすためのものなのだろう。これを経て 『蛇拳』 『酔拳』 でコミカル路線で才能が開花したのは、必然の成り行きだったのかな、と思わなくもない。
んで、内容については、特に前半は下らないギャグがダラダラ続いて、退屈する部分が多い。半人前どころか、カンフーがまるで出来ない主人公のコウが、一向に強くなる兆しが見えないんだもん。ジャッキーらしい魅力もないので、物語に惹きこまれるものもなく…特にこの髪、一体、どんなセンスの床屋に切ってもらったらそんな髪形になるんだよ; と言いたくなる(カツラなんだろうけどね)。
最近発売したDVDではそうでもないが、日本公開版のVHSビデオなどでは、字幕の台詞が当時日本で流行っていたギャグをたくさん取り入れていて、くだらなさに拍車をかけている。「友達の輪っ!拳」とか「1本でもニンジン拳」とか、いきなり関西弁を喋る「阪神巨人コンビ」が出てきたりと、もうほんとにメチャメチャな悪ノリだ。ブリザード級の寒さで身も凍る思いがするが、まぁ、時代を感じさせる懐かしさが嫌いにはなれない(笑)。
(余談だが、本作のオープニングでジャッキーが「座頭市」の真似をしている。確かこの少し前に、勝新太郎が香港俳優ジミー・ウォングと座頭市の映画を作っていた。「天中拳」自体は日本向けに作った時代ではないはずなので、香港でも座頭市の知名度が高かったんだろう。ちょっと嬉しかったり ^ ^ )
ただ、この頃はジャッキーの個性が弱い分、脇キャラたちが豊富で意外と印象に残る。屁っこき風太郎(石天さん)や乞食の師匠、里見浩太郎似の警備隊長や、女性陣も頑張ってカンフーバトルをしている。敵役も、ジャッキー映画では珍しい女悪役とか関西弁コンビとか赤毛の三つ編みとか、単純なストーリーに見えて結構いろいろな思惑が入り乱れているんだよな。ちなみに、田俊がお約束のように味方のフリをしながら裏切り者です(笑)。
終盤、いつの間にやらクンフーを身につけたコウが、秘薬を奪うために終結した山賊や盗賊たちと闘うラストバトルだけは、なかなか見ごたえがあって面白い。 『蛇鶴八拳』 のときも触れたけど、ラストバトルでジャッキーの髪形が変わるんだよな。そこから急にアクションが面白くなっている。
これまで登場したたくさんのキャラ達が一堂に集結して、あちこちで様々な戦いが繰り広げられる。長丁場だが、集団戦や一騎打ちなど、変化があって飽きさせない。
まずは屁っこきの石天さん。胡散臭さ爆発だった姿が、すっきり髪を切って再登場し、少々セクハラをしながらも(笑)得意の棒術で参戦してくる。若干、へっぴり腰に見えるのはご愛嬌(笑)。しかし、師匠も石天も棒術の使い手なのに、コウは棒術を教えてもらってないな…;
コウと二人で、前後から襲ってくる敵を息の合ったコンビプレイで撃退する。ジャッキーのコンビ芸はこの頃から始まったのかな。この映画では他にも、女の子をサポートして田俊を吹っ飛ばしたり、乞食師匠とも組んでダブル技を繰り出したりと、いろいろな人とコンビプレイを披露してくれてるね。
敵役の中で印象に残るのが手斧を使うヒゲ男。最初は二本の斧を腰の後ろに挿していて、背中を向けて攻撃してくるんだよな。これで女の子が足を怪我している(蛇鶴八拳で飛虎党の娘役だった女優さんだね)。腰から踏み込んでくる攻撃をコウが体を捻ってよけると、二人で踊っているようにも見える。さらに、敵が斧を両手に持つと、コウはそれを膝に挟んで奪い取ってしまい、そのまま膝裏に斧の柄を挟んだ格好で相手に切りつけてしまうのだ。わざわざ手に持ち替えたりしないで、うっかりすると見逃しそうな自然な動作でこーいう「技」をやってみせるのが、スゴイなぁと思ってしまうv
その他、警備隊長の娘は田俊と、警備隊長は五毒党の女頭領とそれぞれ戦い、そこにコウが駆けつけて加勢したりする。この乱闘戦では、コウはあちこちで大奮闘しているのだ(笑)。
そして、唐突にラスボス登場。関西弁コンビの片割れの父親らしいオッサン(金剛=カム・コン)、よく見ると中盤で女性に不埒な真似をしようとしていた痴漢野郎である。……それ、ラスボスの伏線だったのか?w
まぁともかく、カム・コンは「木人拳」「蛇鶴」に続いて三度目のラスボスだが、ラスボス戦としては一番面白いかも。ジャッキーのキャラクターが陽気になった分、二人の闘いがダンスのようにリズミカルなんだよな。戦闘の中に「余裕」とか「遊び」があり、ジャッキーの型崩れで不恰好なカンフーにコミカルさが生まれている。首に巻いたつけ毛の先っぽが子馬のシッポみたいにぴょんぴょん跳ねてて、見てて楽しくなってくる。
ちなみに日本公開時はシャイの「カンニング・モンキー」という歌が闘いのBGMになっていた。ゴダイゴの前身(?)なので、知らない人は昔の 『西遊記』 の「モンキー・マジック」と似たようなものだと思って欲しい。(それも知らない世代の人が多そうだけど;) とてもノリがよい曲で、この歌と合わせて見るとジャッキーのカンフーにリズム感が出ているのがよりハッキリとわかる。
ま、本作の目玉であるカンニング拳法がどれだけ役に立つものであるかは怪しいところだが、ハチャメチャな感じがけっこう好きだ。前半はともかく、終盤のジャッキーはとてもかっこいいし、バトルシーンもよくできている。ジャッキーのコミカルカンフーの原点といえるし、その後発展していくいろいろなジャッキー流の源流が感じられるなぁと、最近になって見直して気がついた。あっかけらかんとしたラストの雰囲気や、石天さんとジャッキーのラストショットの笑顔なども特に気に入っていて、好きですねぇ〜。
そしてやっぱり、日本版主題歌はいいね。正直、この作品はこの主題歌のおかげでだいぶ評価が上がっているとも思っているが…( ^ ^;)
「イヤキカカカカカ・カンニング・モンキー〜♪」!!
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『拳精』 (1978)
【あらすじ】 一龍(ジャッキー)は少林寺で働く寺男。戒律の厳しい寺の中で適当に不真面目に暮らしている。ある日、寺の書庫に眠っていた門外不出の「七死拳」の教本が盗まれた。その七死拳に勝てるのは、これまたずっと以前に行方知れずとなった教本にある「五獣拳」だけだ。偶然この教本を見つけた一龍は、本に住む五人の精霊により、五獣拳を教えてもらうことになる。
秘拳を身につけた一龍は七死拳の使い手に勝負を挑み、苦戦しながら勝利する。しかし、その男の背後には少林寺に深い恨みを抱く、一龍のよく知る人物の影があった……
ロー・ウェイが監督した中では珍しい、ジャッキーコミカル路線の映画。子供の頃に何度も放映されていたが、Kは題名などすっかり忘れていた。今回のブームでわりと初期の段階でレンタルして、「うわぁ、懐かしい! 見た見た、何度も見た!」と忘却の彼方から拾い上げたという……まったく、何で忘れていたのか…;
ジャッキーはあまり少林寺を舞台にしたカンフー映画に出演していない。 『少林寺木人拳』 と本作くらいだが、どちらも少林寺の僧というより下働きの下男という感じだ。剃髪するのがイヤだったんだろうな(笑)。この 『拳精』 では「寺の外に出たことがない」と言っているので、赤ん坊の頃に寺に引き取られて育てられたといった生い立ちなのだろう。
少林寺が舞台とはいえ、設定は変にファンタジックで、拳の妖精が登場してジャッキーに拳法を教えてくれる。そのチープさと荒唐無稽さから、ジャッキー自身はこの作品を全く気に入っていないらしいが、日本の子供たちにはモンキーシリーズと同じくらい人気があった。理由のひとつは日本版挿入歌「チャイナガール」のおかげだろう。テクノポップで軽快で、妙に耳に残る歌なんだよなぁ。
さて、物語。冒頭はシーンがブツ切りになっているため、流れがよく掴めないんだけど、修行中の一龍(広東語ではヤッロン、北京語ではイーロンと読む)はお気楽に怠けつつ、師匠たちに怒られてばかりの毎日を送っている、というところだ。教本が盗まれた時にたまたま見張り番だったため、三日間の断食座禅をさせられてイヤだイヤだと駄々をこねている。また写経を命じられて一日に数行しか書けなかったため、「全部書き終わる頃には爺さんになっちゃうよ」と絶望して泣いていたりと、ロー・ウェイにしてはずいぶん明るいキャラクターになっている。
「なんだよ、普通のジャッキーじゃん!」
そうです、基本的には「酔拳」的なコミカルなキャラなんだけど、ジャッキー、なんでこの作品が気に入らないのか。よほどロー・ウェイ監督に恨みがあるらしい…(苦笑)。
まぁ、体罰が必然性がないというか、ただのイジメに近いようには見える。ジャッキーの修行って、辛そうだけど必要な筋肉をつけるためなんだな、とか、素人が見てもなんとなく納得できるように描写されているのだが、一龍がやらされてることは、修行とか身体を鍛えてるという感じがしない。巨大な筆で写経するとか。(笑っちゃうけど;) 多分、見せ方の問題なんだろうな。
でも、直接の師匠にあたるらしいワイホン大師はどうやら盲目という設定のようで(多分)、一龍は大師の傍についている時はいつも横から手を添えて師匠を支えている。大師殿は普段は一人で歩けているようなので、基本的にはやさしい気質の青年なんだろうなぁと勝手に思っている( ^ ^ )。
で、七死拳が盗まれた直後、唐突に隕石が落ちてきて、少林寺の書庫に見えない妖怪が出没する。僧たちは大パニックに陥るが、一龍だけは全然怖がっていなくて、妖怪が出るという部屋で一人で寝ていたりするのだ。そして妖怪に悪戯されて怒って彼らを捕まえようとした時、五獣拳の極意書を見つけた。
大事な秘拳が百年も行方不明になっていたままってのもどうかと思うが、ともかく一龍は五匹の妖怪が、極意書に住んでいる龍、蛇、虎、鶴、豹の五つの拳法の精霊らしいと知る。精霊たちは特に理由があって出現していたわけでもないようで、どうやら未知の隕石パワーが教本に影響を与えて「拳法の精霊」が生まれた、という、SF映画にありがちな根拠不明な展開のようだ。
そうしてせっかく覚えた五獣拳を、初めて見た女の子相手に使って「俺が勝ったらキスさせて」などと小学生レベルの発想にしか活用していない一龍だったが、寺の外では七死拳を習得したロッチン(田俊)が、少林寺の実力者たちと次々に対決して殺害していく。ついに少林寺の敷地内でも殺される者が出たり、疑われた僧が逃亡したりと、一龍の身の回りも次第に騒然としてくる。そこで、それまでお気楽な若者だった一龍は急に正義に目覚めたのか、事件の真相を探るため、山を降りようと決意するのだ。なんだか動機が曖昧なんだけど。
少林寺から下山するためには、木人拳よろしく、卒業検定試験を受けなければならない。今回の一龍は十八羅漢という部隊と対決することになる。棒術を扱う十八人(だと思う)の僧たちと戦い、これを打ち破らなければならないのだ。ここの見どころはもちろん、トンファーを武器にして闘うジャッキー。彼にしては珍しい武器だと思うが、充分に堪能させてくれるアクションで、カッコイイですよ♪
無事試験に合格した一龍は山を降りて、七死拳の使い手を見つける。一度は負けるのもお約束、そして少林寺の境内で最終決戦に挑む!
この 『拳精』 、『酔拳』 などと同年製作なので、どちらが先に作ったのか、製作順序ははっきりとはわからない。ジャッキー自身の記憶によると 『蛇拳』 以前の撮影らしいが、外見(髪の長さなど)からすると 『蛇拳』 と 『酔拳』 の間くらいじゃないかという気もする。ロッチンこと田俊との戦いを見ても、テンポのとり方が「蛇鶴八拳」「天中拳」よりうまくなっているので、 『蛇拳』 前後なのは確かだろう。
田俊(ジェームズ・ティエン)という人は、まぁ〜どんな映画でも見かけるほどこの時代のカンフー映画の常連脇役なんだけど、Kから見ると「カンフー技にソツはないが、どうも華のない役者」という印象がある。ジャッキーと同じ手技師なので、ジャッキーと対戦してもどうも面白味がないというかね。(ジャッキーの対戦相手はやっぱり足技師の方が、迫力もあって面白いよね)
でも、この時の田俊はなかなか頑張ってジャッキーとバトルしている。七死拳て「あまりの残酷さに習得が禁じられた技」らしいが、見ていると「相手の喉に正面突きを打ち込む」くらいの特徴しかよくわからない; 一龍が何度か喉に食らって苦しそうだった。これに対する五獣拳は型がハッキリしているので、一龍が次々に繰り出す技の応酬は明快なリズム感があり、迫力があってスピーディでカッコいい。けっこう入り組んだ組み手をワンカットで一気に撮影していて、手技師同士の闘いでも十分に面白くてゾクゾクしちゃうんだよな。特に、蛇拳でロッチンの腕の動きをクルクルッとかわして一撃を加えるとこなんて、ワイドサイズで見て改めて感心したなぁv
悪いけど、カム・コンではこの速さと複雑さは出せないだろうな; 田俊とジャッキーとの対戦カードでは、これがベストバトルじゃないかと思う。
実際のラスボスはお寺の館長・ワイミンで、実はロッチンの父親だったというどんでん返し。こいつがメチャクチャ強いので一龍はタジタジなんだけど、五精が飛び出してきて彼の危機を救う。最後はこの精霊たちが相当手助けをしてくれて、ようやく勝ったというカンジである。
そうそう、最後は結局、ジャッキーが館長に敵わなくて、五精にずいぶん手を借りてラスボスを倒したというのが子供心に不満だったんだよ。「ジャッキーはズルして勝った」という印象があり、子供の自分には何か消化不良だった気がする。そりゃ、他の映画でも必ずしも正々堂々ではなかったかもしれないけど、こういうあからさまなズルはいかんだろうと(笑)。やっぱり我らがヒーロー、ジャッキーが最強の敵に打ち勝つ、というラストがよかったんだろうね。
今見ると、田俊との闘いの方がすごいので、自分の中ではラスボスは田俊ということになっている(笑)。館長とのラストバトルはイロモンのコミカルバトルってことでまぁいいか、と。この時はジャッキーの頑張ってる表情がいいんだよな。
やっぱりジャッキーは闘ってる時の顔がカッコイイ。必死になってる顔、五精の登場で調子に乗る笑顔、五精に振り回されてる様子とか、最後の闘いの中でジャッキーの表情がしっかりアップで捉えられていて、生き生きしている。これは意外とうまい撮影技術だなと思うが…誰が撮影したんだろうね?
…それにしても拳精たちのファッションというか、髪とか衣装のチープさは相当イタいものがある。そういえば、一時期流行ったキョンシーのような妖怪(幽霊?)にも似ているかも…香港映画の「妖怪」のイメージなんだろうか?(笑) Kは子供の頃、拳精はスカート姿だったので、みんな女性だと思っていたような気がする。今見るとオッサンに見えるじゃん! 気がつけよ〜; と子供時代の自分にツッコミを入れたくなった(爆)。
なんにしても、実は少し前まで自分の中ではそれほど高い評価ではなかったのだが、ちゃんとワイドサイズで見るとカンフーバトルのレベルも高く、何よりラスト周辺のジャッキーがいろいろとカッコいいことがわかった。改めて、やっぱりこの作品も大好きだなぁ〜vv と思ってしまう今日この頃である( ^ ^ )。
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『ドラゴンフィスト 龍拳』 (1978)
【あらすじ】 武術大会で優勝したサンタイは、その祝賀会に殴り込んできたチュンと勝負して殺される。残された妻と娘、サンタイの弟子のタン・ホーウェン(ジャッキー)は、道場の再興を誓った。三年後、龍拳を身につけたホーウェンは遺族と共にチュン道場を訪れ、師匠の汚名をそそぐべく勝負を挑むが、チュンがすでに片足を切り落として罪を償っていたことを知る。目標を見失って途方に暮れるホーウェンに、チュン道場を目の仇にする悪の組織が近付いて利用しようとする……
ロー・ウェイ監督作品。日本公開が遅かったせいか、1978年作品群の中では比較的マイナーな一作だろう。しかし一部のジャッキーファンにはコアに根強い支持を受けている、隠れた名作である。
改めて説明すると、ロー・ウェイはブルース・リーの 『ドラゴン怒りの鉄拳』 監督で、リー亡き後、正式な続編である 『レッド・ドラゴン(新・精武門)』 でジャッキーを主役に抜擢した人物だ。基本はシリアスな愛憎劇を好み、奇をてらった展開を仕掛けてはいくのだが、いつもまとめ切れなくて終劇してしまうパターンが多い。物語のプロットの立て方を知らなかったんだろう。
本作もジャッキーがブルース・リーに近いシリアスな役柄で、かっこよくはあるのだが、どうも全体が作り物っぽくて、上っ面だけで話が進んでしまっている印象がある。個人的にシリアスな物語は好きなのだけど、ロー・ウェイの作品は設定に無理がありすぎるというか、深刻な事態の肉付けや説得力がまったく足りないので、どこか滑稽にも見えてしまうのだ。
Kはブルース・リーにそれほど思い入れはないが、彼が突出したカリスマ性を持った存在だったことは間違いない。観客の親近感とか感情移入とかを超えた、孤高のヒーローとでも言うのか。
「誰も俺を理解しなくたっていい! 俺は俺の正義のために戦うぞ!」 …ってカンジ?
共感もくそもあったもんじゃない。独りで敵と戦って、独りで勝って、独りで去っていく。観客におもねることもしないその後ろ姿に、痺れるほどの感動を抱いた人も多かっただろう。ブルース・リーって言うのはそういう、人間離れした強さというかストイックさというか、誰もが目を惹き付けられる圧倒的な存在感を放っていたスターだったんじゃないかと思うのだ。
決して物語構成が優れているとは言えないリーの作品が、どこか哀愁漂う雰囲気になっているのは、彼のカリスマ性に他ならない。他の俳優に演じさせるには、ロー・ウェイ作品はあまりにも物語の背景や展開が浅くて現実味がなく、話に入り込めないものを感じてしまうのである。
しかし、 『龍拳』 は日本でもバージョン違いが多く、バージョンごとにかなり評価が分かれる作品だ。Kが子供の頃にTVで見た印象もそれほど強くはなく、改めてVHSで見直した時もやはりピンとこなかった。「ジャッキーはカッコイイんだけど、何をやりたいのかよくわかんない」 という感じで、中途半端な作品として捉えていた。ところが、ユニバーサル版のDVDで見ると、かなり印象が違う。現在確認されている最長の96分・広東語バージョンで、物語全体が把握できるのと、おそらく字幕訳がいいんだと思う。
主人公のキャラクターに整合性がなく、半端だった部分に、訳者の理解による翻訳が加えられている。聞き取れる範囲でオリジナル広東語の台詞を理解した限りでは、やっぱりちぐはぐした会話のようなのだけど、訳者がうまく感情の流れを整理した言葉回しにアレンジしているので、すんなり話に入れるようになった。ちょっと変えただけでこんなにすっきりした印象になるんだな、と感心したね。
もちろん、たまたま自分のツボに入っただけで、字幕訳の違いだけですべての人がこの物語に対する評価が変わるとは思わない。が、ユニバーサルDVDで本作を見た人の評価が非常に高いのは納得できる気がした。基本的な物語に釈然としない部分は残るが、自分の中でジャッキーのキャラが固まった分、現在は非常に好きな作品になったことは確かである。
さて、この映画の時代背景がいつ頃なのかわからないが、衣装がちょっと素敵。男性の多くは、普段は足首まで隠す長い衣の上着を着ており、格闘が始まる前にこの服の前裾をさっとめくって腰の後ろで腰紐に差し込む。このタイプの中国服は他のカンフー映画でも見かけるし、 『酔拳2』 などでもジャッキー演じる飛鴻(フェイフォン)がババッと裾をまくる場面がとても印象的なのだが、この 『龍拳』 の衣装は全身のラインなどがスッキリして見えるデザインで、カッコイイv 特にジャッキーの着る真っ白い上着は、主人公の清廉な雰囲気を醸し出している。ラストバトルではこの白い衣装が砂埃にまみれ、血で赤くなっていくのも視覚的な狙いがあっていいと思う。また、逆に黒っぽい上着も着ている場面も、すらりとした印象でよく似合っているんだな。衣装が洒落ててカッコイイという、他のジャッキーのカンフー映画にはない、珍しいポイントで楽しむことができるぞ♪
師匠の未亡人と娘と共に、仇敵チュンの住む町へ訪れたホーウェン。早速チンピラに絡まれ、「やるのか?」と服裾を腰に回すという気の短さを見せる。仇討ちの旅路ということで気が立っているようで、師匠の娘(ノラ・ミャオ)も「イヤならやめてもいいのよ」と気遣っている。
ホーウェンとしてはこの旅を「師の仇討ち」と捉えているようだが、未亡人は「復讐ではなく、弟子に試合に勝ってもらい、亡き夫の無念を晴らしたい」という意向のようだ。まぁなんて紳士的! しかし、その辺の認識の違いが台詞でうまく説明されておらず、ホーウェンの中では「試合で負ける=死ぬ」という図式があるらしく、自分が負けたら奥様たちを守る者がいなくなるんじゃないか…と考えている。
(…正直、こういう悩み自体が脚本として的外れなのだ。必ず勝つ自信がない時点で勝負には負けていると思う)
しかし、ホーウェンの前に現れた仇であるチュンは、あの時の行為を悔いて片足を失っていた。悔いたならさっさと謝りに行っておけばいいものを、用意周到に新しい看板だけ作って、来訪を待っていたわけだ。必要のない復讐のため、三年も無駄に費やしたホーウェンは怒りの矛先を見失い、「何のために今まで修行してきたんだ…!」と、無念さに空を仰ぐのだった。
その後、未亡人が原因不明の病に倒れ、ウェイ家という道場にある秘薬を飲まないと痛みが治まらないという事態になる。実はウェイ一味は密輸組織で、町の人に人望のあるチュン道場が何かと自分たちの悪事の邪魔をしてくるのが気に入らない。ホーウェンの実力に目をつけ、自分たちの仲間に引き入れようと、夫人にひそかに毒を盛っていたのだ。
目的を失い、故郷の町へ帰りたいが、薬がないと夫人の病が治らない。ホーウェンはウェイに請われて、仕方なく町に滞在し、彼の元で働くことにする。
ここらへんが不明瞭なところなのだが、ホーウェンの言動を見ていると、彼がウェイの人となりをすべてわかった上で、未亡人の薬を得るために仕方なく悪事に手を貸している、というふうには見えない。釈然としないまでも言われるまま、ウェイの仕事を手伝っている自覚しかないみたいで、チュンの娘・チューピンがウェイの悪事を説明しようとしても、全く話を聞く姿勢にない感じだ。意図するところは「知っているがウェイに協力するしかないので、冷たく突き放している」のだろうが、「せっかくの忠告に対し、聞く耳を持たない頭の固い人物」にしか見えないんだよな…w
ところで、そんなホーウェンが使う「龍拳」が具体的にどんな拳法なのか。基本は手刀の形で受ける手技のようで、オープニングのサンタイ師匠の技とも少し違う、ホーウェン独自の型だ。…基本的に功夫迷ではないので、いつまでたっても少林拳や洪家拳とかの区別がつかないKなのだが、この龍拳については詠春拳などがベースになっている印象がある…かな。相手の攻撃を横に受け流して力を逃がす感じがかっこいい。
攻撃技の方は、人差し指を第二関節のあたりで軽く曲げて作る握り拳を裏拳にして、敵の急所に叩きつける……という形らしい。この裏拳はほとんどのシーンで寸止めにしているため、どの相手に対しても手加減しまくりな感がある。型自体は中国古武術のものらしいので、殺傷を目的とした一撃必殺拳なのかもしれない。ほとんどは寸止めにした後、拳を開いて手の平でドンと相手を突き飛ばしている。
この龍拳を駆使したカンフースタイルがメチャクチャ格好いいのだ。前半、特にチンピラどもをかる〜くはっ倒すとことか、中盤で村人たち相手に見せる技とか、マジカッコ良過ぎるッ!パッと開いて停止、ふわっと素早く動き出す、みたいな静と動のはっきりしたリズミカルな動きというのかな。裾をまくった青い服の翻り方とか、腕を突き出して一拍おく「溜め」の感じとか、いろいろ大好きvv
殺傷能力が高いためか、チュン道場の連中や村人相手の時はかなり手加減している感じで、特に女性のチューピンと闘う時はほとんど攻撃を加えない。闘いに男女の区別は必ずしも必要だとは思っていないが、そういうホーウェンのフェミニストな部分は好ましいと思う。
話は戻って、最終的にはウェイ一味とチュン道場との全面戦争になる。その中で、チュン道場の弟子だった田俊(ジェームズ・ティエン)が実はウェイと通じていたスパイだったことが発覚。田俊はチュンに奥義「三段蹴」を教えてもらえないことが不満だったらしいが、完全な手技師である彼が足技の奥義を極めなくても…ねぇ(苦笑)。
そして、ウェイの参謀役が未亡人と娘を人質にして、ホーウェンにチュンを殺すよう迫る。ウェイの悪事の全貌を知る人がいなくて、これでどうやって話の収束をはかるのかと思っていたら、敵が自分から悪事の種明かしをしてくれるんだから、まいっちゃうね(笑)。ホーウェンとしては、夫人を助けるためにはどうしてもウェイに従うしかなかったところだが、事情を知った夫人はホーウェンを叱り飛ばし、舌を咬んで自ら命を絶った。うーん、なんて都合よく最後で枷が外れちゃった展開!
「奥様――っ!!」
ホーウェンの怒りが爆発して、近くにいたウェイの参謀をボコボコにタコ殴りにする。そりゃもう、16ビートでドラムを叩くようなものすごい殴り方だ。かっこいいんだか笑った方がいいんだかわかんねぇ。
一方、裏切り者の田俊もホーウェンに吹っ飛ばされた後、チュンたちに押さえつけられて撲殺される。チュン道場の面々はチームワークがよく、複数で敵を倒すパターンが多い。が…数人がかりでよってたかって殴り殺すのって、身もフタもない戦い方だと思うんだけど…いいのかなぁ;
次にホーウェンの前に立ち塞がったのはトンファーの男。鋭利なトンファーで、ホーウェンは白い衣服のあちこちが切り裂かれ、赤い血が滲む。かなりの時間、こいつと戦っているので、実質的なラスボスともいえるだろう。追い詰められたホーウェンに、チュンが杖を投げ渡す。それを武器にしてトンファーを弾き飛ばし、相手にとどめの一撃を加えるところなんてすげーカッコイイ。敵ボスのウェイとの決戦はわりとあっさり決着がついて、最後は相手の喉元にチョップチョップチョップ〜!!
……「そんなことはやっちゃいけない」と教わっているからやったことないけど、気に入らない相手にあんだけ空手チョップを食らわしたら爽快だろうな…(笑)
そんなわけでウェイ一家を倒したホーウェンは、しかし未亡人を助けられなかった…という悲嘆に暮れるラストとなるわけだ。このラストはストンとした切り方ながら、無常感が漂っていてなかなかいい。闘うことの空しさを表現しているようで、けっこう好きだ。
全体的に見て、いいところもたくさんあるんだよな。特にチューピンという女性キャラの、ホーウェンに対する複雑な感情の揺れとか…ホーウェンの硬派な優しさもいい。もう少し物語の骨格をしっかり作っていれば、もっと良いものになっただろう…と思うと、少し残念な気がする。
ジャッキーはこの頃、身体全体で感情を表現していて、喜怒哀楽のはっきりした役の方が観客の共感を呼びやすいという面があった。この物語でも、ラストで怒りが爆発した時の過激な感情表現はなかなか見ごたえがあってイイ。そのためにここまでぐっと抑えた演技をしていた…という演出は理解するが、そこに至るまでのキャラが混乱しているために、感情移入がしづらいのも事実だろう。
この 『龍拳』 と同時進行で 『酔拳』 も撮影していたらしいが、 『酔拳』 を見ると「う〜ん…やっぱ、こっちだなぁ」と思ってしまう。ジャッキーの表情が生き生きしていて、感情がしっかり入っているのがわかるのだ。K自身は、時には酔拳より本作の方が好きだと思うくらいにこの作品に強い思い入れを持っているが、公平に見て、よりジャッキーらしい魅力にあふれているのは 『酔拳』 だよな…と認めざるを得ない。
最後に、この作品の日本公開版挿入歌がまた最高に良いです。主題歌は「ドラゴン・フィスト」で、ラストバトルで流れると哀愁があってすっごく素敵。個人的にはもうひとつの「Do or Die」が流れる闘いのシーンと、前半でチンピラを叩きのめす場面で入るBGMが大好きで、毎日飽きもせず、繰り返して見ていたりする。音楽が入るタイミングも絶妙! この「龍拳」日本公開版は物語のあちこちで挿入されたBGMも効果的で、全体に漂う哀愁感を際立たせているんだよな。最高。
物語やキャラクターはさておき、ジャッキーが唯一、「格好いいカンフー」を極限まで追求した作品であることは確かだ。そして事実、カンフーのかっこよさについては、間違いなく絶品!!の一本なのである( ^ ^ )。