ハリウッド製映画編 ![]()
| ラッシュアワー | シャンハイ・ヌーン | 80デイズ |
| ラッシュアワー2 | シャンハイ・ナイト | ラッシュアワー3 |
さて、香港で映画制作を続けていたジャッキーチェンも、世界に進出し、ハリウッドからも出演依頼が来るようになった。
しかし、本格的なアメリカ映画となると、ハリウッドもさすがに東洋人のジャッキーOnly映画を作る勇気はなかったらしい。もう一人、対極的な存在の主役を置いて、ジャッキーとコンビを組ませる手法で市場に売り出していくことにした。これがいわゆるバディ・ムービーで、ある意味、それまでのジャッキー映画になかったものでもあった。
日本のジャッキーチェンのファンは、これまでの作品においておおよそ、「傑作」と「それほどでもない作」の評価が一致する傾向があるのだが、このハリウッド製作あたりからの映画についての評価は、かなり割れている。 『ラッシュアワー』 を面白いという人もいれば、全然受け入れられない人もいる。これは「ジャッキーチェン映画」に一般的な映画としての観念が入り込む余地ができたことが原因だろう。ジャッキーの存在感を抑えた分だけ、他の部分に目が行くようになり、個々がこれまで見てきた映画とか、ハリウッド映画との相性とか、「映画」そのものに求める価値観など、個人が持つバックボーンによって好き嫌いが別れてしまう部分が多いのではないかと推測される。
幸いというかなんというか、Kはハリウッド映画の呆れるほどにパターン化したお約束の展開がわりと好きだし、ジャッキーのアクション以外の魅力についてもいろいろ目を向けることができるので、この辺りの作品もそれほど捨てたものではないと思っている。しかし一方、例えば 『レオン』 という映画の何がイイのか、どれほど魅力を説かれても自分にはついに理解できなかったように、ジャッキーがリュック・ベッソンの映画なんかに出たら、あんまり面白くない…と思うのかもしれない。映画に対する好みというのはそんな風に千差万別、時にはどうにもならないものである。
ジャッキー同様、Kもそれほど若くはないので。
いつも手に汗握るアクション映画ばかりが見たいわけではない。ちょっと疲れている時、ぼんやり映画を見たい時に、肩に力の入らない、ファミリーで見たり寝転がって見たりできる気楽さも、時にはいいんじゃないかと思うわけで。
そんな賛否両論のハリウッド製ジャッキー映画の紹介をしていってみよう――言っとくけど、相変わらず長いよ(爆)。
『ラッシュアワー』 (1998)
【あらすじ】 アメリカ・ロサンジェルス在住の中国領事館・ハンの一人娘が誘拐され、FBIが捜査に乗り出す。ハン領事は香港から、友人で腕利きの刑事・リー警部補(ジャッキー)を呼び寄せ、捜査に参加させるよう要求した。FBIはこれを煙たがり、護衛と称してロス市警のはみ出し刑事・カーター(クリス・タッカー)に押し付けるが、リーとカーターはそれぞれ独自に捜査を開始。はじめは反目しあっていた二人だが、やがて協力し、誘拐された少女救出に向かっていく…
ジャッキー初出演のアメリカ製作映画。ハリウッド十八番の相棒(バディ)モノで刑事モノで、ポップでビートな展開に仕上げているなかなかの佳作だ。Kも何度か見たが、「まぁまぁ面白い」と感じていた作品である。
まずジャッキーが小奇麗でよい。今までで一番の短髪、ポマードでちょいと固めて、さりげなく前髪が額に落ちかかる洒落た髪型がGood。いや、長い髪も好きなんだけど、男はある程度年齢を重ねたらこんな髪型も似合うようでいて欲しい。(でもパート3の時はオールバック風で好みじゃない;) 衣装も黒の上下スーツに赤いネクタイと印象的で、この頃からやっとカラーシャツのスーツなどを着こなすようになって、いいスタイリストさんがついたようだ。スーツはアクションしにくいから、ジャッキーが映画内で着ることは少ないけど、アメリカ映画ならきっと伸縮に富んだ動きやすい特注スーツを作ったんだろうな、と勝手に想像している。見る側としては、たまにはこんなお洒落なジャッキーも嬉しいですねー♪
アメリカのバディ・ムービーは白人・黒人コンビがほとんどなんだが、東洋人と黒人という取り合わせが面白い。クリス・タッカーは元々もう少しクセのある役柄が多かったと思うんだけど、この作品辺りでエディ・マーフィ、ウィル・スミスなどの系列キャラに乗り換えることに成功したようだ。とにかくキーキーと甲高い声が耳障りに感じることはあるが、慣れればそれも魅力の一部かと(笑)。
物語は本当によくある展開で、性格も外見も両極端な二人が、最初はお互い気に入らなくてケンカしていたのに、事件を追っていくにつれ、次第に通じ合い、協力して悪を倒す、というもの。オーソドックスではあるが、コミカルさとシリアスさ、テンションの高いアクションとクールダウンしながらの物語の進展、小粋な台詞のやりとりなどが非常にテンポよく、物語に破綻もなくラストまで一気に見ることができて、すべてにおいて平均点に達していると思う。要はバランスの問題で、突出したクセがないのでとっつきやすく、ジャッキーファンじゃなくても普通に楽しめるのだ。目新しさが少ないとか、ハリウッド映画としての好き嫌いはあるかもしれない。だけど絶妙のバランスであることは確かだし、映画全体の完成度は高いとKは評価している。
この脚本、中国人であるジャッキーをうまく使っていると思う。冒頭で香港を舞台にしたアクションがあるが、その後しばらくジャッキーは出てこない。アメリカで誘拐事件が起こり、カーターの登場、FBIとのやり取りなどの展開がしばらく続くので、観客は自然にアメリカ人側の視点になっていて、香港からやってくるリー刑事を見ることになる。
リーのお守りをしろといわれ、嫌々空港まで出迎えたカーターは、声をかけてもリーがだんまりで返事をしなかったので、言葉が通じないのだと思い込む。我々もこの東洋人は無口で英語が喋れない設定なんだと思い、しばらくはカーターが一人でべらべら喋っている。リーは時々肩をすくめて両手を広げる欧米人みたいな仕草をしつつ、隙を見てカーターから逃げ出した。この時のジャッキーの、看板にぶら下がったり、バスの屋根からタクシーの屋根に移ってストンとタクシーに乗っちゃう一連の動きがなんというか、優雅。いつものテンポの速いアクションじゃなく、とてもゆったりした流れるような動きで、日本舞踊みたいな上品な感じがして素敵〜。これ、普通のジャッキー映画ならタタタッと軽く流してしまう場面なんだろうけど、ジャッキーの動きに慣れていないアメリカ人向けに、わざとゆっくり見せているんだろうね。このテンポでしっかり見てみると意外に新鮮な優雅さに気づいてしまうなぁ。
しかし意外にカーターが頑張って、逃げるリーを追っかけてくるんだな。二人の対立を見て、タクシーの運転手がキレて銃を向けた時に、初めてジャッキーが慌てて英語で喋り始めるのだ。なんだ、英語喋れる役なんだと我々もビックリ。こういう細かく計算された脚本がさすが、洗練されていて上手いと思うんだよね。
もちろん、その他にも中国料理に文句を言うカーターとか、中国人の誇りをところどころに感じさせて、「君に俺は理解できない」と言いきるリーとか、文化の違いが壁の高さとなるエピソードが、その後も何度も出てくる。一方で黒人文化を知らないリーが、黒人同士の酒場で間違った英語を使って騒動を起こしたり、カーターに例の歌を教えてもらったりするシーンもあり、ベタッとしない爽やかな感じで二人が仲良くなっていくのもいい。「WAR」って歌をKは知らないが、この歌をBGMに踊ったり歌ったりしているシーンは結構好き。
そんで、あまり語られていないけど、この映画でのジャッキーはなかなかいい演技もしている。ハン領事の娘――(顔が可愛くない。ただでさえ色気の少ない映画なのに、少女くらいもうちょっと可愛い子はいなかったのか。でもジャッキーとの関係は好き) とも直接の知り合いなので、少女のことをとても心配している。もちろん一番心配しているのはハン領事で、娘を心配する親心がうまく演じられているが、FBIやカーターにとってただの人質に過ぎない娘が、リーにとっては大事な妹分だ。事件の中で特殊な爆弾が使われていることを知り、カーターは自分が捕まえた爆弾犯に誰に売ったか尋ねに行くのだが、相変わらず一人でペラペラ喋ってちっとも吐かせられる様子がない。話す気もなさそうな爆弾犯の前に立ち、リーは「あの子を助けたいんだ、まだ11歳なんだ」と懸命に訴える。怒鳴るでもなく、暴力を振るうでもなく、きっとそれほど上手くもない英語で話すリーの姿は、あからさまな必死さとか情に訴える泥臭さはない。それでもちゃんと真摯さが伝わってきて、爆弾犯も爆弾の売り先をリーに教えてくれるのだ。
それから、中華料理屋でジュンタオを逃してしまった後、ハン領事に香港へ帰るよう命じられて、空港に向かう車に乗り込むリーの場面。車に乗って窓の外を眺める横顔が本当にいい。はっきりした感情を表さず、ただじっと外を眺めている顔に様々な感情が宿っているようで、
「うぁ、いい演技するようになったなぁ…!」
と、唸ったよ。
若い頃は全身の動きで感情表現をしていたジャッキーが、横顔ひとつで、しかも悲しいとか無念とかはっきりした表情を見せることなく、内に隠した感情表現をこれほど演じることができるようになっていたとは驚きだ。もちろんこれは、ここまでの脚本のテンポや、この場面でBGMや光の当て方などの演出があってこそだと思うが、ヒジョ〜にさりげない隠れた名演技だと思う。
…とまぁ、ここまで褒めちぎっておいて何ですけど。
ジャッキー映画には「映画としての評価」と「ジャッキー映画としての評価」が混在する。普段は「ジャッキー映画として」見る方が多いんだが、この映画はまず一般的な映画としての感想が来てしまうね。その上でジャッキー映画として考えるなら、やっぱりジャッキーのワンマン映画ではないので、ジャッキーの活躍がかなり抑えられてしまっているため、なんだか物足りないぞ? という印象も残るのは事実だ。
おいらたち日本人はジャッキー映画に慣れてしまっているので、最初から最後までジャッキーが出てくるのが普通だと思っているし、ラストのアクションは多くの時間を割いて畳み掛けるものであり、見終わったら息をするのも忘れていた、と思い出さなきゃならないほどだったりするのが当然だ。だからアメリカ映画的にどれだけ主役を張ろうとも、バランス優先で作られた映画に物足りなさを感じるのは実に無理もないのだろう。
ただし、Kはアメリカ的映画のセンスは嫌いではないし、こういうバランス感覚をうまく取り入れながら、よりよい「ジャッキー映画」になっていけばいいと思っているんだけど。
アクションについて。上にもちょっと書いたが、途中途中で挿入されるアクションはテンポがよくて好き。中華飯店での騒ぎなどで、ジャッキーとクリス・タッカーが椅子に乗って階段を滑り落ちていくシーンを見て、「クリス・タッカーも、こんないかにもカンフー映画なアクションに参加させられて大変だなぁ」とすごく思いましたッ(笑)。
ラストがほんとに物足りないんだよね。中国の歴史的な壷を一生懸命庇いながら闘い、やっと元の位置に戻したのに、次の瞬間には銃撃で割れてしまったりするコミカルなところはいかにもジャッキー。爆弾を担いで敵のジュンタオを追っかけていって、ジュンタオは爆弾と一緒に天井から下の池に落ちて終了。せっかくの爆弾が爆発しません。不満(オイ)。
そしてジャッキーも天井から落ちて、というのがラストの一番盛り上がるシーンだ。アクションはそれが最後なので、何か見落としてしまったような気になるが、よく考えれば普通に盛り上がってラストもまとまっている。まだスゴイものが来るはずと思っている自分の感性がおかしいんだなぁ、と一般映画に感覚を戻すのにちょっと苦労したりする(笑)。
まぁそういうわけで、何度も何度も見るほどの傑作だとか、ジャッキーの魅力が満載だとかの作品ではない。でも総合点は高いので、見ておいて決して損のないものだと、個人的には結論づけているのである。
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『シャンハイ・ヌーン』 (2000)
1880年代。中国・清朝のぺぺ姫(ルーシー・リュー)が誘拐された。彼女を騙してアメリカへ連れ去った犯人から多額の身代金が要求され、紫禁城から勅命を受けた近衛兵一行が、身代金の受け渡し場所として指定されたアメリカ西部・カーソンシティーへ向かった。荷物持ちとして同行していたチョン・ウェン(ジャッキー)は、たまたま乗り込んでいた列車を襲った強盗たちと格闘し、仲間とはぐれてしまう。見知らぬ土地で異文化に戸惑いながらも、チョンは姫を救うため、強盗のロイ(オーウェン・ウィルソン)と共にカーソンシティーを目指して珍道中を繰り広げていく。
『ラッシュアワー』 のヒット後、同じくアメリカで製作されたジャッキー映画第二弾。基本的な物語構成は 『ラッシュアワー』 によく似ていて、そこに単純に「ジャッキーが西部劇をするのって面白そうだよね!」という発想ひとつを加えて引っ張っているものだ。
個人的に好きなジャンルのため、西部劇にはチトうるさい。しかしこの映画の場合、古きよきオールド・カントリー映画ではなく、むしろ『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』 のように「毛色の違う世界に生きてる奴を西部劇ワールドに放り込む」ことによるミスマッチの面白さを狙っているようだ。そういえば、 『BTF3』 ではM.J.フォックスがクリント・イーストウッドの名を借りていたが、ジャッキーの「チョン・ウェン」がロイに「ジョン・ウェイン」と誤解されているところも似ている。(さらにロイの本名がワイアット・アープって、何だそりゃ/笑)
もうずいぶん昔、三船敏郎だか千葉真一だか、やはり日本の侍が西部劇に紛れ込んで日本刀でバッタバッタとガンマンどもを切り倒すという映画を、ずっと幼い頃に見た記憶がある。袴姿のサムライが西部劇に登場するのも奇抜なら、清朝の中国人(本当なら弁髪)が西部に来てカンフーするのも十分にミスマッチだろう。そーいうふざけた映画は結構好きだ(笑)。
で、この映画だが、列車強盗あり、インディアンとの戦いあり、酒場での乱闘あり、脱獄あり縛り首あり決闘あり…と、西部劇のお約束はほとんど網羅している。いろいろ詰め込んで忙しいのでひとつずつのエピソードは軽く、いつも都合よくインディアンの彼女が助けに来てくれたりして、物足りなさがあるが、気楽に笑って見ていられるそこそこの出来上がりといえるんじゃなかろうか。 『ラッシュアワー』 よりもう少し小汚くてコメディ色が強いかな。ジャッキーが大真面目に近衛兵をやっていて、アメリカ人のみならず我々の現代的感覚からもズレまくった価値観を持っているのが可笑しい。
今回の相棒ロイは金髪の白人で、クリス・タッカーほどの強烈な個性がない分、ジャッキーの魅力をうまく際立たせていると思う。背もそれほど高くないので、ジャッキーと並んでも釣り合いが取れているし。(ジャッキーも東洋人としては普通の背丈だが、白人の中に入るとやっぱり小柄に見えるよね) 喧嘩も銃の腕もからっきしダメなくせに、大言壮語で、女を口説くのだけが得意なプレイボーイ? 本来ならいいトコなしの小悪党になるはずのキャラクターだが、不思議と品がいいというか、粗野な感じがしない。妙にお人好しで人懐こく、インディアンでも中国人でも差別的な概念を持っていないのだ。ジャッキーがめっぽう強いとわかると、素直に感動して賞賛している。騙して利用しようとか、媚を売ったり、逆に虚勢を張って白人優越主義に傾くこともない。西部時代の荒くれカウボーイに
「そんな奴おらんやろ〜」
と、思うけど(笑)。周囲の無理解は知っているのか、女性と話している時は「中国人は相棒じゃないよ」とカッコつけてみるが、本質的には文化の違いもフランクに受け入れられるタイプの人間のようだ。クリス・タッカーみたいに斜に構えて皮肉ることがないんだね。(あれはあれでいいのだけど) むしろジャッキーの方が因習に縛られてるタイプで、最初はロイをまったく拒絶しているんだが、一緒に牢屋に入れられた時にやっとロイをまじまじと見て、ちょっとだけ笑って打ち解けるところなど、わりと「いいな」と思えるシーンだ。
アクションは少し長くなって、特に敵の親玉との対決はそこそこ力が入る。近衛兵同士で槍やら三節棍やらで闘ってみたりして、もう全然西部劇じゃなくなってるんだけど…(笑)
まぁ、合間にロイと悪徳保安官の銃対決などが入っているおかげで、かろうじて異次元になっていないよね。
総合的にまぁまぁ…ありきたりな評価でなんですが、可もなく不可もなく? というところに落ち着くんだろうか。
これは単純に西部劇ファンとしての希望になるが、もっともっとカッコイイ西部劇的なアクションが見たかったというのが正直なところ。酒場での乱闘シーン(これはお約束ですから!)をもっと派手に長くやってほしいとか、蹄鉄に縄をつけて振り回すあの即席の武器がカッコイイのでもっと見たかったとか、馬を駆って疾走するのが西部劇のいいところなんだよとか、思うんだけど。
……ところでジャッキー、乗馬ができないのでこの映画の前に練習したという話を聞いたけど…乗ってたよね? 大昔、スタント時代に 『少林門』 で。アレ見て「ジャッキー、乗馬もできるんだな」と思って、あの時代だから鞍もしっかりしたものじゃないし、馬の扱いもずいぶん慣れてるように見えたんだけどな? あれ、スタントにやってもらったんですか?(爆)
『少林寺』 でリー・リンチェイも馬に乗って全力疾走してましたよ。やっぱりカウボーイといえば、華麗に馬を駆る手綱捌きがあると盛り上がるよな。そんなアクションがあればK的には大興奮だったんですが、まぁ過度な期待は慎んで。
これはそこそこの面白さを堪能しておくのが一番いいんだろう。多分ね(笑)。
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『ラッシュアワー2』 (2001)
【あらすじ】 香港のアメリカ大使館が爆破され、二名が死亡する事件が発生。香港闇組織のトライアッドの首領であるリッキー・タンに容疑がかかり、リー捜査官(ジャッキー)はマフィアのナイトクラブへ潜入する。バカンスで香港へやってきていたカーター(クリス・タッカー)もわけもわからず捜査に巻き込まれ、事件を引っ掻き回す。背後に大掛かりな偽札密造事件が絡んでいると知ったリーとカーターはロサンジェルスへ飛び、さらに偽札を追ってラスベガスへ。偽造組織の黒幕に勝負を挑んでいく……
大ヒットした 『ラッシュアワー』 の続編。最初は気付かなかったが、前作のラスト、カーターが休暇を取ってリーと香港に行ってから、すぐに事件に巻き込まれたという設定らしく、ロスにとんぼ返りする形になっている。なんとなく、 『ラッシュアワー』 の一年後くらいかと思ってたよ。前作では確か警部補だったリーが警部になっているし。昇進したのか?
物語はやや複雑で、主軸は偽札事件なんだが…ちょっと必然性に欠けるというか、大雑把でアラの目立つ作りだ。香港・ロス・ラスベガスと舞台がクルクル変わるのだが、実際はそんなに飛び回るほどスケールの大きな事件という実感がない。偽札自体がまだほとんど世間に出回っておらず、いわゆる「危機的状況の緊急回避」といった緊迫感が足りないせいもあるんだろう。舞台が広がりすぎたおかげで、物語のポイントが絞り込めず、どうにも大味な印象になってしまうんだな。
どんな映画でも、続編というのはたいてい前作のような「ストーリーの緻密さ」がなくなって、やたらスケールの大きな(爆発シーンとかが多い)ものになりやすいんだけど、本作も例外ではない。大体が宣伝文句に「製作費○○億円」なんてのは、ムダに金ばかりかけているようであんまり好きじゃないけどね。まぁそんな、ちょっと鼻につくハリウッド的な悪い面が出てしまうところまで、どこまでもハリウッド(笑)な 『ラッシュアワー2』 である。
辛口論評になってしまったが、じゃあ面白くなかったのかというととんでもない。これがまた、すごく面白いんだ(爆)。
続編の魅力のひとつはキャラクターの幅が広がるところだろう。物語性優先のために一部しか見えなかった登場人物の、別の個性が見えてくるのが楽しみなのだ。パート1ではジャッキー演じるリー刑事、ややクールで堅苦しい人間だったのが、今回は大分砕けてきている。この砕け方が、Kとしてはカーターと付き合うようになって少し変わったのかな、という印象だったので、彼との付き合いが一年ほど続いた後、と思ったのだけど、もともとがこういう性格だったのか? 嬉しそうにマッサージ店に行ってみたり、女性の着替えを覗き見してウキウキしてみたり、かなりカーターの影響を受けたような感じもしたんだけど…(笑)。
カーターが爆発に巻き込まれて死んだと思った時にも、車の中で音楽を聴きながら、最初はカーターを思い出して目をウルウルさせていたのが、だんだんリズムに乗って楽しそうな表情になっていくワンカットも面白い。「1」の時には表面的にカッコイイというだけだったリーの性格が、意外とおバカで単純(スヌーピーみたいにキュート、という意味を理解しているのか… ^ ^ )で、人間臭くなっているのがとても魅力的だ。ジャッキーも生き生きと演じているように見える。
一方のクリス・タッカーも、今回はアクション頑張ったなぁ! 前作も充分頑張っていたけど、今回はそれ以上にアクションに絡んでいる。マッサージ店でのジャッキーとのコンビネーションは絶妙。サモ・ハンやユン・ピョウ以外で、ジャッキーと肩を並べてキメのファイティングポーズを取れる奴って、そうはいないだろ?
相変わらず強引・ゴリ押し・俺様モードなカーターだが、時々、リーに対してこれまた意外と繊細な気遣いを垣間見せるんだな。ラスト、空港で別れる際、クールなリーが立ち去りかけた時に名残惜しそうにじーっと見ていて、「そうだ」とリーが振り返ると、「なんだ?」と嬉しそうに駆け寄ってきた時、カーターのお尻に尻尾があったらブンブン振ってたんじゃないだろうか…と思うくらい可愛かった( ^ ^ )。お前、けっこうリーのこと好きなんだな、って思うよ(笑)。
そんな風に二人の関係がいい感じにこなれていて、前作からのファンとしてはかなり楽しめる。掛け合い漫才のような遣り取りも、お互いのあしらい方も、ツーカーになってきているのがわかる。パート1、パート2と続けて見ていると、カーターの「リー!」という甲高い呼び声とリーが(何かにぶら下がって)「カーター!」と叫ぶ声って、かなり耳に残るなぁ。爆弾持って「リー!」「カーター!」と意味もなく呼び合っているところとか、笑えたわ(笑)。
全体的にリーたちのアクションも大分増えたし、コメディセンスも上等。前回足りなかった色気もバッチリだ。SSの女性エージェント、イザベラ(ロセリン・サンチェス)は顔もスタイルもよくて目の保養になる。黒い下着にガウンを引っ掛け、ハイヒール姿で爆弾を拾い上げてジャッキーたちをバカ呼ばわりするキップのよさに惚れ惚れ。姐さんカッコイイっす! 基本的にジャッキー映画に色気は要求しないけど、この程度はあるとちょっと嬉しい♪
チャン・ツィイーは… 『LOVERS』 を劇場まで見に行っておいて何だが、この人が美人なのかどうか、実はいまだによくわからない; まぁ、本作においていうなら、演技がどうこういうレベルではないし、アクションがすげぇってものでもないし、正直それほど重要だとは思わないが、この若さでそこそこの存在感はあるかなと。白い顔に真っ赤な口紅、リーを拷問できると知ってニィ〜と笑うさまが不気味です。しかしキャラ設定が不明瞭なので、最後に爆弾持ってリーたちに迫ってきた動機がよくわからず……
タンを崇拝してたのか? それにしてもタンが死んだことも知っていたのかどうかよくわかんないし、このシーンは取ってつけたようで(メイキングを見ると、実際とってつけてましたが)……モニャモニャ(後略)。
ファッションについて。今回のリーのスーツは前作に比べて一見普通だけど、仕立てはよさそうだ。女性陣の衣装はお洒落でよい。特筆すべきはカジノに乗り込む時の、リーとカーターの衣装だ! 上から下までワニ革ワニ革、カーターの衣装は一体いくらかかっているのだろう。ナイスチョイスです、ブティックのオカマのおじさん!(この人、有名なコメディアンなのかな?;)
リーもなんだか今までで一番お洒落な服に着替えて、こんな服はプロのデザイナーじゃないと絶対選ばないだろう。ていうか、香港映画ではありえないセンスだ。しかもこれがまた、「か、カッコエエ〜(涎)」
もうどこの王子様なんだかジャッキー。いや〜、でも似合ってるからヨシ!
この衣装でカジノをドタバタ駆け回るミスマッチぶりがまたたまらない。リーは口の中に小型爆弾を押し込まれてビニールテープでぐるぐるに猿ぐつわをされるのだが、ビニールテープというのがなんとも新鮮。両手もテープをグルグル巻きにされてドラえもんの手のようになっている。そんな状態でラスボスのところに連れて行かれると、そこには死んだはずのタン(ジョン・ローン)がいたのである。…今回の事件はリーの父親の死に関わる部分があり、その部分でリーは深刻にならざるを得ないのだが、ここらへんはさすがにアメリカ映画、コメディに崩す場面とシリアスに魅せる場面のバランスが上手いので、ひとつの物語、ひとつのキャラクターの中でうまく整合性が取れている。(香港映画だとなかなかこうはいかない;)
タンが生きていたことに驚くリー。…顔の下半分は猿ぐつわを咬まされていて言葉も出せない。ここはほとんど目だけの演技だ。実はこういう演技がとても上手いジャッキー、タンが父親やカーターのことを悪し様に言うのを、怒りや焦りを含んだ視線でぐっと睨みつける。感情の流れがうまくこっちに伝わって来るんだよなぁ。
危機一髪のところをイザベラが助け、口の中の小型爆弾の起爆スイッチはチャン・ツィイーの手を離れて下のカジノフロアに落ちる。銃声に驚いた客たちが悲鳴をあげて逃げ惑う中、起爆スイッチはあっちへ転がりこっちへ蹴飛ばされ、リーはドラえもんの手で必死に追いかける。ここの展開は危機感を保ったまま、シリアスから一転、コミカルな演出となっていて、喋れないリーが「んー!んー!」と懸命にカーターに事態を伝えようとしているのが、必死なのに可笑しい。この猿ぐつわ、よく見たら面白い小道具だなー、みたいな感じ(笑)。
やっとカーターにテープを剥がしてもらい、小型爆弾を放り出して爆発させる。口の中を吹っ飛ばすにしては火薬が多すぎたようで、テーブルひとつを軽くバラバラにするほどの破壊力があった。あんなのが口の中で爆発したんじゃ、リーの胸から上が吹き飛んだだろうし、近くにいるチャン・ツィイーだって死んでたと思うけどな…(笑)
そうして危機を脱し、タンの後を追うリー。結局、父を殺したのもタンだったとわかり、怒りに燃えて銃を突きつける時の彼の葛藤もかなりリアルだ。カッコよくて、何回も見てしまう。自分の中でいろんな感情を抱えて一生懸命なリー刑事って、けっこうジャッキーにはハマリ役なんじゃない? って思っちゃうよ。
ええと、そんなわけで、前作同様、総合的にはよくできた映画といえるだろう。アクション、コメディ、テンポのよさなどは相変わらず質がいいし、楽しめるポイントが多くてとても面白いと思う。個人的にはかなり好きvv
しかしアクションが凄いってことではない。無駄に爆発しすぎ。そしてリーがとにかく強いので、まともに闘える相手がいないのが残念なところだ。ジョン・ローンはカンフーなんてやらないし、カーターが追っていた「金持ちの白人」(一応黒幕?)はものすごくどうでもいい死に方をする。(大体こういう金持ちの黒幕が自ら単独で偽札の原版を盗みに来るか? 悪党として適当すぎる役柄だ) パート1がわりとシンプルでしっかりした物語だっただけに、こういう脆弱性はどうしても評価が厳しくなるよ。
チャン・ツィイーがジャッキーと闘うのかと思っていたが、なんと彼女の相手はクリス・タッカー。ジャッキーは彼女に何度か蹴られただけだった。しかもクリス・タッカーもほとんど負けてたんだけど、たまたま偶然、彼が倒れたはずみで跳ね上がった槍にぶつかってチャン・ツィイーが気絶するという、笑えるほど情けない勝ちっぷりであった。うーん、まぁ…いいんだけど。ジャッキーとチャン・ツィイーのガチンコバトルはちょっと見てみたかったかな。
ところで 『ラッシュアワー』 シリーズって、ラストは必ず「高いところから落ちる」のがお約束なんですかねぇ?(爆)
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『シャンハイ・ナイト』 (2003)
【あらすじ】 アメリカ・西部の町で保安官として暮らすチョン・ウェン(ジャッキー)は、中国の紫禁城で皇帝の玉璽(ぎょくじ)の番人を務めていた父が英国人に殺されたという知らせを受ける。チョンは父の仇を討つため、相棒のロイ(オーウェン・ウィルソン)とイギリスへ旅立った。
ロンドンで妹のリンと再会したチョンは、玉璽をうばった男が清朝の王族の一人と結託して、英国女王の暗殺まで目論んでいることを知る。男たちの陰謀を阻止すべく、チョンとロイの決死の戦いが始まる…。
『シャンハイ・ヌーン』 の続編。と言っても、物語の舞台も雰囲気もがらりと変わっているので、チョンとロイの基本関係だけがそのまま別世界に移行したような作りである。時代が1887年ということなので、前作(1881年)より6年後、という設定か。NOON(正午)の方は以前にテレビで見たことがあるが、NIGHT(夜、言葉の引っ掛け。正確にはKNIGHTS/騎士)は今回のブームで初めて見た作品だ。
最初にビデオで見た時は正直、微妙な印象だった。面白くないわけではないが、どことなく展開が唐突でムダ撃ちするところがあり、物語にうまく入り込めなかったのだ。二度目以降に見直すと非常に楽しいと思える作品だが、初見の不自然な印象が完全に消えたわけではない。その後、時間を置いてDVDでも見直して、もう一度レビューを書き直してみることにした。
本作は日本でも評価が高く、ハリウッド製作のジャッキー映画としては最もジャッキーらしさがあり、彼の方向性に合っている映画である。Kもこの時期の作品では1、2を争うくらいに好きだと思う。好きだから何度も何度も見直すし、何が「惜しい」と感じるのか、真剣に考えてしまうわけで…ファーストインプレッションは映画の評価をする上で無視できない要素だと思うからね。これから問題点を挙げてみるけど、一般レベルでは本作の出来はとてもいいので、他作品よりも高い水準で見ていることを事前に述べておこう。
とりあえず、DVDを買うならコレクターズ・エディションがオススメだ。特典映像でドニー・イェンとの格闘など、ノーカットのアクションシーンがたくさん見られるし(ラッシュフィルムらしく、画質は悪いけど;)、監督のコメンタリー、脚本家二人組のコメンタリーもそれぞれ収録されている。単純計算でも英語版・吹替え版・コメンタリー2種類の4通りは楽しめてしまうお得バージョン♪ コメンタリーってよほど好きな映画じゃないと監督の自己満足話にしか聞こえないのだけど、この監督はジャッキーをとても尊敬しているらしく、あちこちで語られる撮影秘話が微笑ましい。ジャッキーの意見を最大限に尊重して尽力した様子が伺われ、ついでに脚本にも惚れ込んで、極力変更しないように努力したようだ。 『ラッシュアワー』 のブレット・ラトナー監督とはかなり違うアプローチ方法で、ジャッキーの魅力を引き出したと言えるだろう。
しかし、そうして頑張って撮影した行為に対して、その後の編集段階の取捨選択に問題があるような気がする。大局的にも部分的にも、編集のツメが甘いというか、ポイントが微妙にズレてるというか…下手ということではなく、ちょっとずつズレてるかなぁ…って感じだ。Kは映画作りの専門知識はないので、その編集が監督の手によるものなのか、別のエディターの商業ベース視点による編集のため、意図がずれたのかまではわからないが。
まず、この作品はとてもたくさんの要素を詰め込んでいる。香港映画ほどではないにせよ、詰め込みすぎて少しわずらわしさが感じられるようだ。全体の流れで言うと、主軸が仇討ちなのに、前作のようにロードムービーの要素も入れようとしているせいか、ニューヨークでドタバタしたり、ストーンヘンジを見学したりと、場面自体が本筋に関係がない部分が目立つ。蝋人形館やビッグベンはともかく、ストーンヘンジは明らかに異質だろう。コメンタリを見ると、ロンドン塔を舞台にしたシーンも考えていたようだが、そこはまるごと削除して正解(苦笑)。観光巡りじゃないんだから;
そして、それぞれの舞台でのエピソードを短くカットしてまとめているため、展開が唐突で説明不足になっているところが散見される。例えばN.Y.のシーン(これ自体が不要とも思うが)、ホテルで警察がロイたちを捕まえようとする理由がまったくわからないし(市長の娘と寝ることは犯罪ではない。金のために寝るという意味も不明だが…)、結局金がないまま船に乗り込めたあたりも、船の積荷を見つけて潜り込んだというちゃんとした説明がない。ロイが結婚したという話がどうなったのか?とか、バッキンガム宮殿で雨に降られたロイとチョンが、浮浪児に案内されて入った豪華な屋敷が誰のもので、どうして勝手に入ってくつろいでいるのか?とか、本編を見ていて謎だった部分が、未公開シーンでは台詞上でちゃんと説明されていたりする。特典未公開シーンを見なければ意味が繋がらないエピソードって、どうなんだろうね?
さらに、画で見せる場面説明があまりうまくない。それぞれのシーンで必要なちょっとした「説明」的な描写を入れてないため、今ひとつ状況がわかりにくいのだ。特に思うのは、カメラが被写体に近付きすぎる傾向があり、会話を登場人物の単独のアップだけで進行させてしまっている。バストアップとかではなく、顔だけアップ。
たとえば二人が話しているシーンがあるとしよう。会話だから、Aが話し、次にBが話す。Aがそれに答え、またBが…っていうのが続く場合、この映画はA、B、A、Bと交互に顔だけアップを続ける。しかもカメラアングルがまったく同じままで、延々延々……。
あのなぁ、違う角度から撮ろうとか、ここでいったんカメラを引いたウエストアップで二人を一緒の画面に入れようとか、そういう工夫はないんかい、と思ってしまう。観客としては二人が並んでいるのか、向き合っているのか、といった位置関係を漠然と推測しながら見る必要があり、そういうショットが間に挿入されているかいないかで、物語を楽しめる余裕がどれだけ持てるかが変わってくる。しまいには「アップばかりで飽きた」という気分にもなってくるのだ。
監督の話によると、撮影日数が短い中で、ジャッキーがアクションを演出する時間を捻出したかったらしい。アクション以外のシーンは固定カメラで撮るなど、撮影時間を短縮する涙ぐましい努力をしたようだ。そういう撮影手法が会話シーンの単調なカメラワークに影響しているのかとも思うが、それでもロングカット用カメラを別に置いてるくらいはしてるだろうから、やっぱり場面の編集で、ロングカットを間に挟むくらいはできるんじゃなかろうか…と、素人考えでは思ってみる。
もちろん、そこまでしてジャッキーに自由にアクションをさせたいと頑張ったドブキン監督の熱意には素直に感動するし、ありがたいとも思う。しかし、そのアクションが半分以上カットされてるってどーいうことだ。まともに挿入されたのはロンドン市場での長丁場くらいか。(このアクションは最高の出来上がりだ!)
いや…アクションがカットされたこと自体は仕方ない。そりゃあ本編で全部見たかったけど、バランスを重視するアメリカ映画にとって長すぎると判断されたなら、諦めるしかない。ただ、最初からたくさん入れられないとわかっているなら、長いアクションシーンなんか作らなくてよかったんじゃないかと思う。撮影日数が短いのに、結局カットするアクションを撮るために余計な時間を使い、その他のシーンをおざなりに撮影してしまったのなら、本末転倒じゃないか。
それならブレット・ラトナー監督のように、撮影の段階で 「そんなに長いアクションはいらない」 と明確に伝える方が合理的で、時間も金も無駄がないだろう(ジャッキーは不満かもしれないけど)。
映画は山ほど撮影して、編集段階でどんどんカットして仕上げるものだと承知してはいる。ジャッキーだってこれまでの人生で、没にしたアクションシーンは完成品の何十倍もに相当するはずだ。それでも、ドブキン監督はさすがに欲張りすぎたんじゃないだろうか…中国・西部・N.Yと次々変わる豪華な舞台セット、オリジナル脚本の忠実なトレース、ジャッキーアクションてんこもり、ドニーさん召喚、オールドコメディとスターウォーズへのオマージュ、etc.。本編が114分というかなりの長さにも関わらず、収まりきらなかった諸々の要素を考えると、編集がうまいとかヘタとか言う以前に、もう少し準備段階でポイントを絞りきれなかったものか…と、残念な気がする。撮影現場での監督の努力も、ジャッキーの努力も、半分は空回りしたんじゃなかろうか。
つまり、撮影に入る前に、脚本全体の方向性をもっと絞り込んで、必要な撮影シーンのプランなどをもう少し練っておけば、時間も有効に使えただろうに。ジャッキーのアクションだって、もう少し本編に入れられたかもしれないがなぁ…。
さて、辛口評価はこれくらいにして、そんなアレコレを感じたとしても、本作が映画としてはとても面白い娯楽作品であることは間違いない。特にオールドコメディ・タッチな仕上がりは、ハリウッドで作ってこそ、意義があったようにも思う。
前作 『シャンハイ・ヌーン』 は 『ラッシュ・アワー』 の相棒を変えて西部劇の要素を加えてみた、という感じの映画だった。西部劇という古き良きアメリカを題材にしながら、あくまでもそこにそぐわない中国人が登場するという、ミスマッチの面白さが根底にあったと思う。 『シャンハイ・ナイト』 もチョンとロイが異国に放り込まれているのだが、今回のジャッキーは「古き良き」サイレントムービーの持つレトロな雰囲気の中に、完全に溶け込んでしまっている。
ロンドンの市場を駆け回るジャッキーのアクションはどこかで見たような懐かしさがある。全体的にセピア色っぽい色彩で、言葉なんかなくても万人に伝わる、世界共通の懐かしい「笑い」の要素。コミカルな動きで傘をくるりと回して、閉じて開いて、追いかけてくる敵をかわしていくアイディア満載のアクション。そして踊るようにステップ踏んで、傘をさしてふわりと飛ぶ。BGMがまた心憎いほどのアレンジ! 名作と呼ばれた映画たちに対する限りない愛情や畏敬の念を感じる、本当に素晴らしいシーンだ。
なるほど、1880年代という時代背景をこう持ってきたか! あくまで現代ハリウッド的映画という「型」の中で作り続ける 『ラッシュ・アワー』 シリーズと完全に一線を画したな! と感じさせてくれる。 『雨に唄えば』 とか 『メリー・ポピンズ』 なんて、懐かしい映画をもう一度見たくなりますねぇ(笑)。
この時、ジャッキーのアクションを「すげぇ」とあっけにとられて見ていた少年がいる。彼が後の伝説の天才映画監督となるわけだが、ジャッキーが心からリスペクトする御大が、少年時代、ジャッキーのアクションに魅了され、自身の映画作りのインスピレーションとなった、という構図を作っているのが面白い。「なるほど、憎い計らいだな」とにやりとしてしまうのだが、コメンタリを見る前にそこまで気付く観客は少ないだろうね。この映画のいろんなレビューでは「彼」が最後に自分の本名を名乗ることを「ご愛敬」と書いているのも見かけ、「そこはご愛敬じゃないと思うんだけどな〜^ ^ ;」
(ちなみに気になって調べてみたところ、かの映画監督は1887年にはまだ生まれていない/笑)
ラスボーン卿の仮装パーティに潜り込んで玉璽を探す場面なども、絵画の目が動いたり、ドリフのコントのようにロイが後ろを向いている間に暖炉が回転していたり、古典的なコメディ色が強くて好きv チョンもいいけど、ロイの表情やキャラがとてもいい味を出している。今回のオーウェンはアクションはいっさいやらないヘタレキャラで、コメディアクターに徹しているが、間の取り方や全身での演技が絶妙だ。表情の演技ではジャッキーがうまいと思うけど、これは自分が東洋人のせいもあるかもしれない。白人の感情表現は読みにくいからな。ともかく、アクションは抑えてもいいから、ジャッキーはこういう古典的なコメディ演出のある映画をもう少しやってもいいなぁと思う。
それから――これは意味がよくわからないんだが――ホテルで羽毛枕を撒き散らかしながらロイとチョンが踊っているシーン。妹のリンがロイと仲良くしているのが気に入らないチョンが、妹にロイの悪口を吹き込む。ロイはそれを立ち聞きして落ち込むが、こういうところでチョンを責めないのもロイのいいところだろう。で、お詫びにとチョンが女性たちを集めて部屋で枕投げを始めるのだが、いつの間にかそこで一緒になって飛び跳ねているおっさんがいる。最初は意味がわからなかったが、二度目に見た時は「誰だよそいつ〜!」と大爆笑してしまった。それ以降は見る度に笑ってしまう。こういう、唐突でわかりにくい展開が戸惑いになると楽しめないんだけど、何度か見直したり、話のリズムに乗れさえすれば、とても面白い。ただ万人にわかる「笑いのツボ」ではなく、観客を選ぶ捻った笑いの要素と言えるだろう。
他にも、ところどころで挿入されるミスマッチなBGMとか…レトロ調の映画に現代ブリティッシュ・ロックが入っているのは確信犯な異質編集だが、それを斬新で面白いと感じられるかどうかはかなり好みが分かれるのではなかろうか。Kも場面によっては選曲が合わなさ過ぎて、雰囲気を壊しているように感じられるシーンもいくつかあった。
ともかく、花火大会を装って機関銃で女王一族を暗殺するという計画を事前に察知したチョンたちは、最終決戦を挑む。敵はウー・チャン(ドニー・イェン)という皇帝の腹違いの兄。ホントは長々と闘ったドニーさんとの夢のカンフー対決だが、本編ではあっさりチョンがやられそうになり、リンが花火で吹っ飛ばして、ドニーさんは夜空に打ち上げられました。……あんなところで爆死したら肉片とか血とか民衆の上に降り注いでスプラッタ状態なんじゃなかろうか…
そんなことを考えたらダメですか、そうですか。
そしてビッグ・ベンの中で父の仇、ラスボーン卿とも戦う。ここでもラスボーンがやたら強くて、チョンは何度も剣を奪われ、ジャッキー負け続けである。ラスボーンの傲慢な顔にムカムカするんだけど、一方で起死回生の反撃を決意するジャッキーの演技が素晴らしい。「もう一度」と剣を要求する表情がすげぇ好きで、何回も見直してしまう。名演技だ!
……ただ、見るたびに思うけど、この時のBGM、チョンとラスボーンが乗った台が時計盤のガラスをぶち破る瞬間と、BGMの一番盛り上がるタイミングが数秒、遅れている気がする。ラスボーンが落ちていくショットがBGMのクライマックスになっちゃってる感じなんだけど…;
編集者としてはガラスを破って飛び出す場面でなく、次のラスボーンが落ちていくショットが最高潮と判断したのかもしれないが、自分の感覚では「違う」と感じるので、いつもズレてるようでモヤモヤする。他の人はどっちがクライマックスと感じるんだろうか。
つまり、そういういろんな面で、この映画の編集が微妙に自分の感性とはズレてる…というのが、自分がこの映画に感じた違和感の正体なのではないかと、そんな風に今は思っているのである。
まぁ、長々と語ったけれど、かなり好きな作品であることは確かで、ジャッキーがハリウッドで残したひとつの成果としても充分評価できると思う。つーか、ジャッキーってスゴイよな…と改めて思うのは、ハリウッドでも着々と実績を積んで、周囲に自分のやり方を認めさせていっているところだろう。
アクション演出をするなら、これだけの時間が必要だ、というジャッキーの言葉に監督や製作者が耳を傾け、できるだけ協力をしていく。それはいろんなビジネス的要素とか、交渉や根回しなんかがあるのだろうけど、プライド高いアメリカ映画が香港スターにそこまで譲歩し、製作に関わらせるっていうのは、なかなか凄いことだと思うわけで。
細かいことはともかく、ジャッキーにすべてを任せたアクションや、全体の雰囲気や方向性などはとてもいい。要所要所でかなり高水準なセンスのシーンがあることは確かなので、見逃しちゃならない一作ともいえるだろう。
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『80デイズ』 (2004)
ご存知、ジュール・ヴェルヌのかの名作を大胆アレンジしてしまった新訳版「80日間世界一周」である。公開当時、珍しく劇場でポスターを見て「面白そう。見に行こうかな」と思った覚えがある。結局行かなかったけど。
日本のファンにはそこそこ評判はよかったようだが、日本語吹き替え版の評価はすこぶる低く、ジャッキー以外の声優たちが大根だと多くのレビューで語られている。確かに、吹替えが下手だと映画自体のイメージを下げてしまうので、何か許せない気分になってしまう。個人的にはチョイ役ながら登場したサモ・ハンの吹替えを聞いた時が一番ヘコんだけどさ…(涙)。
舞台は19世紀ロンドン、あの時代にも中国人はイギリスでわりと多かったのだろうか。
銀行から翡翠の仏像が盗まれた。犯人はジャッキー、役名はラウ・シンとなんだかカッコイイ名前だが、物語中は偽名のパスパルトゥーでほぼ通してしまう…いや、パスパルトゥーもけっこういい名前なんだけどね。
盗んだ仏像はもともと彼の住む中国の村にあったもので、中国独裁をたくらむ女サソリ将軍(カレン・モク)の一派に盗まれて、ロンドンの貴族の手に渡っていたのだった。銀行から仏像を取り返したまではよかったが、警察に追われて逃げ込んだのが発明狂の貴族、フォッグ(スティーヴ・クーガン)の屋敷だった。追っ手から逃れるため、彼は急遽、助手に立候補して雇われることになる。
仏像を持って少しでも早く中国に帰りたいラウ・シン。フォッグが科学アカデミーの意地悪なケルヴィン長官に挑発されたチャンスを逃さず、フォッグと共に80日間世界一周旅行に出ることになる。
まずはフランスで画家志望の美女・モニク(セシル・ド・フランス)と出会い、トルコで色キチなナルシスト王・ハピ王子(アーノルド・シュワルツェネッガー)に行く手を阻まれる。(色キチなナルシストってどんなん?と思った人は見るべし/笑) さらにインドでも悪徳警官や女サソリ将軍の刺客が立ち塞がり、ヒマラヤ山脈を越えて中国へ。ラウ・シンの故郷でひと悶着あって、アメリカ大陸へ渡って西部を横断、オーウェン・ウィルソン扮するライト兄弟にも会い、ニューヨークから再びイギリスへ戻っていく。しかし様々なトラブルのおかげでどうしても船では間に合わず、ついにフォッグは長年の発明の成果を試すべく、空飛ぶ機械を作る決意をする。さて、飛行機はロンドンに向けて飛び立つか…!?
…とまぁ、こんな話だ。
なんつーか、ディズニー的にファンタジーなお話であった。世界一周するくらいだからあちこちで見せ場があり、ストーリーも長尺だ。科学的な話はまったく意味を成さないのでおいとくとして、主役はどちらかというとジャッキーっていうよりフォッグかな。世界旅行の本来の主人公で、ロマンスもあるし。ジャッキーとかアクションというのは物語の一部で、味付け程度に留まっている。ジャッキー目当てで見ると物足りなさが残るが、物語全体の流れとジャッキー特有の個性がわりといいカンジに融合されているんじゃなかろうか。
Kはあまりファミリー向けのこういう映画を見ることがない。「ハリー・ポッター」とか、「パイレーツ・オブ・カリビアン」などを見ても途中でダレてしまうので、このタイプの「夢とロマンの冒険映画」の良し悪しはよくわかんないんだけど、多分、よくできた物語ではある気がする。話はわかりやすいし、夢があって楽しい活劇ものだ。ラストがとても爽やかで、観賞後の気分もいい。もうちょっと自分が無邪気な人間だったら、ワクワクして楽しめるんだろう。ゴメン、夢のないオトナになっちまったので、ちょっと斜に構えた評価になるけど、そこは見る側の人間性に問題があるってことで(爆)。
ジャッキーについて。忠実なフランス人助手・パスパルトゥーが、実は前髪も落とさずきっちりなでつけて後ろでひとつにくくっている、いかにもな中国人という新解釈はなかなか面白い。フランス人だと信じているのはフォッグ一人かもしれないけどね(笑)。助手として活躍はしているが、どちらかといえば準主役に近いコメディタッチな役割だ。
もう一人の主役的なキャラであるフォッグ。個人的には、残念ながらあまり好みの顔ではない。真面目くさった顔で科学を説くけど、浮世離れしていてやることが妙に可笑しい…という、なかなか難しい役どころをうまく演じているとは思う。軽い好感は持てるが、主役や準主役としては魅力が薄いかな。この役者(イギリスの喜劇役者らしい)の知名度や他の出演作を知らないが、外見がイマイチでも、作品中のキャラとして惹き付けられる魅力があれば、もっと好感度は上がっただろう。「顔は好みじゃないけどなんだか好きだな」と思えるほどのキャラクターではない。
そういう意味では、ジャッキーの存在も助手という控え目な印象にしている、というよりは、登場するどのキャラクターの魅力も薄っぺらであるとも言える。ヒロインも中途半端だし、ケルヴィン長官や悪徳警官など、この手の映画では「どうも憎めない愛すべき悪役」になるキャラクターたちも中途半端だ。なんとなく好感はあるけど、好きといえるほどの強烈な個性は感じない。あくまで感性の問題だとは思うが、特に子供も楽しめる映画としては、キャラクターの立ち方に難があるかなという気はする。
ともかく、そのフォッグの世界一周冒険旅行の助手を務めながら、ラウ・シンには彼の事情があっていろいろと忙しい。警察からも女サソリ将軍の手下たちからも追われているのだが、のんきなフォッグがそれに気付いていない。アクションも、フランスの絵画展覧会で絵の具を巻き散らかしてみたり、気球を追いかけて空を飛んでみたり、インドでは悪徳警官と手錠で繋がれて逃げ回ったりと、いろんなバリエーションを見せてくれる。ファミリー向けをきっちり意識して作られた映画といえるだろう。それでも物語の重心がラウ・シンに傾きすぎることなく、あくまでフォッグの世界一周旅行をメインに進んでいくのがいい。ジャッキーの役割が重すぎもせず、軽すぎもしない、非常にいいトコロに収まっているんだね。予定調和ではあるが、このラインを外さなかったのは正解だったと思う。
中国にたどり着いた辺りから、ジャッキーは後ろにまとめていた結構長い髪をざんばらに下ろしたヘアスタイルになり、これがチョットかっこいい。「シャンハイ」シリーズのようなつけ髪ではなく自前で伸びたんですな。少しワイルドな雰囲気で、この後はずっと髪を下ろしている。服装も前身頃を重ねる着物みたいな服で、正確な時代考証はまったくわからないが、古い中国的なイメージでかなりいいテイストです♪
故郷の村へ翡翠の仏像を持ち帰り、家族と再会を喜ぶラウ・シンだが、フォッグは自分を利用して彼がこの村へ帰ってきたことに気づいてしまう。…余談だが、この「フォッグを利用して」って言い方、言葉が悪いでしょ? 日本語訳がストレートすぎるのが難点。「私も世界一周についていけば村に帰れると思った」という言い方なら角も立たないものを、「村に帰るためにあなたを利用しました」と相手にはっきり言っちゃいかんでしょう。(フォッグが自分で「俺を利用したのか」と言うのはOK) その他、シンがフォッグの評価として「くそ真面目」とか「バカ正直」といった言葉を使っているのも気になる。普通、好意を持っている相手に対して使う言葉ではないだろう。吹き替えも字幕訳した人も日本語の微妙なニュアンスに敏感になっていただきたいところだ。特にこういうファミリー向け映画では。
そうしてフォッグとラウ・シンとの間に問題が発生したところで、女将軍の一派が村を襲い、二人とモニクは捕まってしまった。ここでラウ・シンが敵軍のリーダー(ダニエル・ウー)と一騎打ちだ。捕まっていた檻からばっと飛び出てくるところで見てる方もテンションが上がる。やっとジャッキーらしいアクションシーンの到来だ!
…なんだろうな、舞台が中国で、中国的な衣装とか小道具が出るだけで無性に嬉しい。十八番の床几使いとか、回転刀とかを駆使した闘いなども面白いし、何よりサモ・ハンと並んで立ってる姿とか、やっぱりアドレナリン上がるし、感慨深さも感じてしまうんだよな。仲間の十虎たちもキレのあるハイテンションなカンフーを披露して、場面を盛り上げてくれている。ここのアクションと、後のカレン・モクとの戦いのシーンが本作の一番のお気に入りシーンですvv
で、敵方は敗北して村には平和が戻った。この後、助手をクビになったラウ・シンだが、モニクと共にフォッグを追いかけていって和解し、最後までお供することになる。ニューヨークで女将軍と闘う場面も古典的な舞台設定で、ジャッキーらしさが出ていてカッコいい。役に立たずにウロチョロしているフォッグや、けっこう気の強いモニクもいい対比のアクセントになっていて、場面全体をひっくるめて面白いと思っている。
ジャッキーの活躍は大体そこまでで、ラストに向けてはフォッグとモニクのロマンスや、飛行機発明、王立アカデミーの正面玄関前でケルヴィン卿v.s.民衆や女王陛下とのやりとりなどが続き、あまり表立って絡んでくることはない。あくまで主人公の助手という役柄から考えれば、当然の展開なのだろう。
ジャッキーといえば完全に主役か、ゲストとしてのカメオ出演というのがジャッキーたる存在感だったのだけど、 『80デイズ』 ではその突出ぶりがいい具合に抑えられていて、とても自然体でいいんじゃないかと思う。物語の中にジャッキーの役割が違和感なく消化されていると言おうか。このアジアの大スターをハリウッドという異色の空間でどう同化させていくか、という命題に対して、この映画はひとつの成功した形で答えを出してくれているのではないだろうか。アメリカでの興行成績的には今ひとつだったようだし、脚本としてキャラクターが弱い気はするけど、「ジャッキーチェン」の扱い方としてはファンの一人として合格点を与えたい。
ジャッキーも製作側へ移行していくことを考えた場合、こういう出演の仕方は悪くないだろう。歳を重ねれば存在感にも重みが増すから、いぶし銀のような脇を支える重厚な役ができるようにもなる。ていうか、そうなっていくべきだとも思う。(…寂しいけどね;)
でもって、ジャッキーが自分をぐっと抑えたことによって、この映画は「80日間世界一周」となり得たのであって、ラストの爽やかな余韻に繋がったのだろうとも思うのだ。うまく説明できないが、ヒーローがヒーローにならなかったからよかったんだ…みたいな感じ? 群集が歓声を上げて、その中にジャッキーもフォッグも埋もれてしまって、この懐かしい時代のあふれるエネルギーだけが最後に画面に残る。夢や冒険が身近にあり、世界を変えられた時代の民衆の熱気とでもいうのかな。
それは過ぎ去ったものではあるけれど、間違いなく一人一人が輝いていた時代なんだと。
物語全体の底流に流れてきた「冒険旅行」への憧憬が、しっかりとラストシーンで昇華されているんじゃないかなぁと、そんな風に思ってみるのだった。
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『ラッシュアワー3』 (2007)
6年ぶりに「ラッシュアワー」復活。もう続編を作る気はないのかと思っていたが、「インディ・ジョーンズ」や「ランボー」などもゾロゾロ復活している昨今、アメリカ的に「久し振りの続編を作りたい時期」なのかもしれない。
個人的にはジャッキー再ブームに突入した2007年の夏に、本作が日本公開されたため、15年ぶりくらいに劇場でジャッキー映画を見た。そのためか、自分の中でこれ以降の作品は2007年4月頃までの映画(プロジェクトBBとか)とはちょっと違うテンションで見ている節があることをまず前置きしておく。
あらすじを説明すると…中国マフィア「トライアッド」のボス「シャイシェン」の情報を掴むべく、パリへ飛んだリー警部(ジャッキー)とカーター(クリス・タッカー)の、いつものドタバタアクションコメディ、というものすごく簡単な説明で十分だろうか。シリーズ中、物語は最もいい加減で、残念ながら脚本として評価すべき点はほとんど見つからない。物語自体の新鮮味があるとかないとか言うことでなく、プロット自体がきちんと構成されていないのだろう。劇場公開で見た時は、とりあえずジャッキーを大画面で見られることが嬉しかったが、DVDで改めて何度も見直していると、「ホントに雑な話だなぁ」という感想を禁じえない。
ネタバレしてしまうと、トライアッドのボスは13人いて、その名を記したのがシャイシェンと呼ばれるリスト(刺青)。で、悪役のケンジ(真田広之)はボスのうちの一人だったのか何だったのか不明で、もう一人の刺客・工藤夕貴(役名不明)についても、彼女の正体や、どういう理由でリーたちを狙っていたのかわからないままで終わってしまった。さらに黒幕ともいえるレイナード委員長は何故トライアッドに加担していたのだろうか? 中国人ではないから、組織の一人ということではないと思うが。
細かい部分でツッコミを入れていくなら、ケンジが狙撃銃を置いたまま手ぶらで逃亡しているとか、スーヤンが父から預かった大事な書類を拳法道場のロッカーに置きっぱなしだとか、それをスーヤン自身が取りに行かないから道場でややこしい闘いが起こるんだとか、道場側も銃を持ってきた相手には素直に書類を渡すくせに、手ぶらのカーターたちには「ロッカーはもう何もない」という説明もしないで闘いを仕掛けたりしているとか、狙撃されて意識不明のハン大使を残して護衛が誰もいなくなっているとか、フランス語を喋る刺客が一部分の住所しか言わないとか(その住所でホントにたまたまジャンビエーブがカード遊びをしてただけ)、一介の警察官であるリーとカーターがフランスにやってきた途端にフランス当局にとっ捕まっているとか、あれまぁこれ以上は挙げてもキリがないやと思うほどにひとつひとつのエピソードの必然性や設定がズサンである。「こんな場面が面白いだろう」と思いついた場面だけを作って繋いでいる、という印象があるし、実際そうなのだろう。
ブレット・ラトナー監督って元々こんな制作方法をしていたっけ? と思わず 『ラッシュアワー』 を見直してみたが、一作目はまだ典型的ながら起承転結のしっかりした話だった。(ジャッキーが固いけど、そこはアメリカ製映画の枠に填めるゆえの弊害ではある) これ以降の彼の作品はそれほど知らないが、方向性はかなり変わったような気がする。
ただし、本作が面白くないということではない。熟練してきた監督の技術的な手腕はたいしたもので、場面場面のテンポや映像・音楽の演出、CGの見事さなどはつい惹きこまれてしまい、物語部分の脆弱さを覆い隠すほどには巧い。昔の香港映画が、物語はどうしようもないのに、カンフーアクションの凄さだけでメチャクチャ面白く魅せていたように、アメリカ映画の映像技術はそこだけで十分に面白く見ることができる。カーアクションあり、ガンアクションあり、マシンガントークの笑いあり、お色気あり、ダンスに、ジャッキーが歌まで歌っちゃったりするシーンありと、とにかくなんでもありで、それぞれのエピソードを単独で見ればなんだか面白いのだ。この面白さを是とするなら、前後との繋がりがなんだかおかしいとツッコむのは野暮というものかもしれない。
この映画を一言で表すなら、「おもちゃ箱をひっくり返したような映画」という表現がピッタリだと思う。子供向けという意味でなく、ブレット・ラトナー監督の「好きなもの」全部詰め込みましたという映画だね。
「ロマン・ポランスキーが好きだから出演してもらおう」
「以前のオーディションで工藤夕貴が印象に残ったから使ってみよう」
「ブルース・リーみたいにカンフー道場でビッグメンとの闘いを撮影してみたい」
「色っぽいダンスシーンなんて入れたら面白いんじゃない?」
…そんな思いつきを次々に映画の中に詰め込んで、脚本をどんどん書き換えた結果がこの作品なのだね、とDVDメイキング映像を見ていて思った。ある意味、監督の趣味に走った映画といえないこともないが、映画監督なんていつだって、頭の中に自分だけのおもちゃ箱を持っているものだから、そのおもちゃ箱の中身がどれだけ多彩で豊富なものかを見せてもらった気分にもなれる。
考えるに、シリーズも3まできて、スタッフの入れ替わりが少ないと、お互いの気心が知れて監督の趣味嗜好が出しやすくなるのだろう。スタッフたちも製作者も「監督、趣味に走りすぎなんでは…?」なんて言わずにお付き合いしているところを見ると、要するに皆が内輪ウケを容認しているのである。内輪ウケというと言葉が悪いが、監督が面白いと思った提案はスタッフにとっても面白く感じたということだ。
もちろん、それは製作サイドだけでなく、観客サイドでも同じことだ。シリーズを「3」から見始める人間は少ないので、製作側は「1」「2」を見ている観客をターゲットに続編を作る。シリーズには暗黙の了解があり、我々はいまさらリーとカーターの関係とか説明してもらう必要がないし、映画のカラーも容認したうえで次の展開を期待している。ここに、製作サイドと観客サイドの、巨大な内輪ウケマーケットが誕生するのである。
世界レベルの共同体で内輪ウケを共有できているんだよ、考えてみるとすごいね(笑)。
念のため、Kはその是非を問う気は毛頭ない。映画において内輪ウケを否定したんでは、ジャッキー映画なんて全部内輪ウケだし、日本映画のほとんどが国内でしか通用しない内輪ネタだ。ただこの 『ラッシュアワー3』 については、監督の好みが色濃く反映されているのは事実だろう。ラトナー監督も実績を積んだし、このシリーズは彼の出世作でもあるから、ある程度好きなことができるようになったのだろうね。製作には相当金がかかっていると思うので、これだけ金をかけて自分の本当に好きなものが作れるって羨ましいなと思うが…
まぁ、それだけ金をかけているなら、もうちょっと物語にも気を配って欲しかったかな、とも思うけどね。
それはそれとして、ジャッキーについて。
んーと、実は今回、ジャッキーはほとんどジャッキーらしい見せ場がない。前作までは「ジャッキーでなければこのシーンは成り立たない」という部分は多々あったけど、今回はジャッキーじゃないと駄目、と思えるアクションとか場面は見当たらなかった。一応、シリーズ中、初めてのちゃんとしたジャッキーの対戦相手として、日本代表・真田広之が登場しているのだけど。
リーとケンジにはいわくがある設定なのだが、何しろ物語が雑なので、彼らの関係にはほとんど踏み込まれていない。ケンジに対するリーの迷いやらカーターとのすれ違いなど、映画中に必要なシリアスな展開もさらっと流れすぎていて、唐突で感情移入しにくい。結局、ケンジが無感情な単なる悪役で終わってしまったのが本当に残念だ。(というか、リーに対するケンジの台詞がベタベタしてて気持ち悪い;) 彼がエッフェル塔から落ちるシーン、ジャッキーはとてもいい演技をしているのだけど、それが最後の盛り上がりでもなんでもないのですよ; いくらなんでも、そこはラストにもってこいや、勿体ないだろー!!
その真田広之とジャッキーとの闘いは日本刀でのチャンバラ対決だ。
「…あの、せっかく日本刀で闘うなら、静動の組み合わせた居合い切り的な演出をしてください…」
と 『椿三十郎』 や 『座頭市』 を見てきた日本人としては思うのですが;
日本のチャンバラって一人対多勢とかの殺陣が多くて、一対一の対決はわりと短時間で決着つく気がする。まぁそれは日本の時代劇知識に乏しいので勝手な思い込みかもしれないし、香港出身のジャッキースタントチームには望んじゃいけませんね。真田広之の剣技はさすがに本場仕込みだけあって、見事だと思いましたのこと。
しかし、メイキングを見るとCG合成技術は凄いね。エッフェル塔での闘いは、闘いそのものより、これがセットで、周囲の景色と合成されているという技術の高さに驚かされる。別に本人たちがエッフェル塔へ行かなくても、全部スタジオにセットを作って撮影できるんじゃないかと思うのだけど、それでもご当地で一部だけでも撮影したことにも多少の意味はあるのだろうか。
二大スター、シリーズ最新作、一流の製作スタッフ、莫大な製作資金。そして仕掛けられた宣伝効果。どこを取っても、ヒットすることが約束された見事なまでに「アメリカ映画」だ。ストーリーを見るより、ジャッキーの活躍を見るより、場面ごとの映像としての見事さ面白さを堪能するのが、この作品を楽しむ最良の方法なのだろう。
こういった監督の好みが突出した映画(宮崎駿監督作品とか)というのは、Kなどは多少の苦笑を交えつつ、「まぁいいか」と思ってしまうタイプの人間なので、たまにはお付き合いしてみるのもいいんじゃないかと思ったりするのだった。