はじめに 〜今、なぜジャッキーチェンなのか〜 ![]()
2007年、初夏。突然、ジャッキーチェンにハマりました。
なんでまた今頃ジャッキーチェンなのかと言うと、無料動画サイト「Gyao」さんで「少林寺木人拳」と「カンニング・モンキー天中拳」を放送していたのを見たのがきっかけです。
この放映情報を見て「おおっ、懐かしい!」と思ったKはもちろん、日本のカンフーブーム当時、多感(?)な小学生時代を過ごした世代の人間であります。当然、昔はジャッキーチェンが大好きで、子供時代から現在に至るまで、熱烈ではないがごく普通にジャッキー映画に慣れ親しんでいた奴だと思っていただきたい。
「少林寺木人拳」なんて、もう二十年以上見ていない。ものすごく久し振りに見て、感動し、当時の興奮を思い出した。
この興奮にさらに輪をかけたのが、この映画に対するおびただしい数のレビューだ。投稿者のほとんどがKと同じ世代と思われ、子供の頃ジャッキーの映画を見て、どれほど彼が好きだったかを熱く熱く語ってくれていた。読んでいるとなんとなく、昔の友人たちの思い出話を聞いているような気分にさえなってくる。まったく、見も知らない人たちと同じ思い出を共有していることの不思議さよ。
きっと、誰もがジャッキーを好きだった。Kも大好きだった。「プロジェクトA」や「ポリスストーリー」を何回、繰り返して見たことだろう。あの頃、彼は我々にとって稀有ともいえる、生身のヒーローだったのだ。
ジャッキーはKにとって、端的に言えば「従兄のお兄ちゃん」といった存在だ。子供の頃は単純に憧れるカッコイイヒーローで、後を追っかけていたけれど、別に嫌いになったわけでもなんでもなく、成長するに従って自然に他のことに興味が向かうようになり、離れてしまった。それでも身近であることに変わりはなく、テレビで彼の映画を放送すれば当たり前のように見ていた。なんだかんだといいながら、彼の作品は3分の2くらいは見たことがあると思われる。(物語はほとんど覚えてないけど;)
近くにいすぎて、特別「好き」な対象として意識したこともない、というのが正直なところではなかったろうか。
最近ではジャッキーもさすがに年齢的なものを感じさせるようになった。映画を見てもそれほど面白いとは思わず、普通にハリウッド映画を見るような感覚で見ていたような気がする。一般的に見て、ジャッキーチェンの映画はどれも似たようなものなのだけど、どの映画を見ても結局、すごいアクションだなぁと単純に思ってしまう。だけど、どれを見てもアクションがスゴイってことは、実はとんでもなくハイレベルなんだってことだ。50作品を越える彼の主演映画を見返してみても、アクションという点においては、ほとんど「外れ」がない。常に一定以上のレベルをキープしているってことなのだ。
映画は娯楽なのだから、その一作で楽しめるのが一番いい。スカッとしたい時にジャッキー映画を借りてきて楽しめば、それでいいのだろう。だけど娯楽であるゆえに、観客の求めるものは無邪気で無責任で、よりエスカレートしたものになる。いわく、「もっともっと上のものを!」。
映画スターとして三十年、観客の要求に答えつづけてきたジャッキーチェン。娯楽であることに徹し続けた彼の方向性は間違っていなかったと思うが、皮肉なことに、単純な娯楽であるからこそ、重要視されるのはヒットしたかしなかったか、ということだったり、興行成績だけで判断されていたんじゃなかっただろうか。多くの人が、それほど真剣に彼の映画のひとつひとつについて考えたり語ったりする機会を持たなかったんじゃないかと思う。
たまたま昔の懐かしい映画を見たことで、興味がわき、ジャッキー映画を見直してみたくなった。そして、いろいろな彼の映画を再観賞していくことで、これまで見落としてきた多くのことに気付き始めてきた。
ジャッキーチェンほどの才能を持ったクンフースターはもしかして、もう現れないのかもしれない。
ただの切れ味の鋭いクンフーじゃなく、踊るような舞うような、「魅せる」クンフー、それを天性の明るいキャラクターに乗せて画面狭しと駆け回っていたジャッキー。この抜群の運動神経と、武芸と京劇を融合したような華麗な動き、それを演出させきるのは彼の周囲にいる優秀なスタッフと、彼自身の人間的な魅力だ。何匹もドジョウを求めて柳の下に群がるはずの業界人たちが、いまだ彼に続く同じ系列のスターを輩出していないところを見ると、残念ながら今後もこれほど楽しませてくれる娯楽映画を生み出す存在は出現しない可能性もある。誰一人、彼の真似をすることはできない、奇跡的な存在だったのかもしれない。
ジャッキーに勇気付けられ、ジャッキーみたいになりたいと願った日々があった。
ジャッキーの映画は彼自身の変遷の記録であると同時に、自分の成長過程とも繋がっている。あの映画を見た時の自分、この映画に感動した時の自分が、気づけば当時の懐かしい思い出と共に記憶に残っていることに、いまさらながら気づいてしまう。いつも身近にありすぎて、いつの間にか遠くへ行ってしまったことも気付かないままだったのだ。
今からでも遅すぎはしない。もう一度、俺たちのヒーローを最初から見つめ直してみようじゃないか。
もちろん、ジャッキーはスクリーンの中だけに生きているヒーローじゃない。そんなこと、大人になった我々はもう充分に分かっている。漫画みたいに歳をとらないわけじゃないし、スキャンダルも起こすし、権力に屈することだってあるだろう。
今は「肉体の衰え」というものと直面し、葛藤し、模索する彼の姿は、決してカッコよくはないけれど、とても人間的だとも思う。そんなジャッキーの姿をどう受け止めるのか、我々も問いの答えを探している途上なのだという気がする。彼がたどり着く答えがどうなるのかはまだわからないが、それが彼にとってもファンにとっても、満足のいくものであればいいと、そう願っているのである。
ジャッキーの存在が奇跡なら、同じ時代に生まれ、最高潮のブームを見守り続けることができた我々は、きっと奇跡的な幸運に恵まれていたのだろう。その幸運を当たり前のように享受し、自分が成長したから、飽きたからと切り捨てていくのではなく、その価値をちゃんと受け止めて、自分の中で見つめなおしてみたいんだ。
いつかは奇跡が終焉する。それはそれほど遠くない未来のことであるし、彼が我々と同じ肉体を持つ人間である以上、避けられない運命でもある。
だから、今。失ってしまってから惜しむ前に、今、我々の手の中にある奇跡を、もう一度。
もう一度、しっかりと握り締めてみたいんだ。
<了>